第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的

第一節 十字架による救いの
第二節 エリヤの再臨と洗ヨハネ

 

メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味するが、特に王を意味する言葉である。イスラエル選民は彼らの預言者たちの預言によって、将来イスラエルを救う救世主を、王として降臨させるという神のみ言を信じていた。これがすなわち、イスラエルのメシヤ思想である。このようなメシヤとしてられた方が、まさしくイエスキリストであるが、このキリストという言葉は、メシヤと同じ意味のギリシャ語であって、普通、救世主という語がてられている。
メシヤは神の救いの理の目的を完成するために、降臨なさらなければならない。このように、人間にして救いが必要となったのは、人間が落したからである。ゆえに、救いにする問題を解決するためには、まず落にする問題を知らなければならない。落はすなわち、神の創造目的を完成できなかったことを意味するがゆえに、落にする問題を論ずる前に、我は創造目的にする問題を解決しなければならない。
神の創造目的は、まず地上に天が建設されることによって成し遂げられるようになっていた。ところが、人間の落によって、地上天現されずに、地上地獄がつくられたのである。その後、神はこれを復せしめる理を繰り返されてきたのである。したがって、人類史は復帰摂理の史である。ゆえに、この史の目的は、まず地上に天を復することである。は、このような問題を、に前編第三章第一節と第二節で詳細に論じてきた。

 

 

第一節 十字架による救いの

(一)メシヤとして降臨されたイエスの目的
(二)十字架の贖罪により救いの理は完成されただろうか
(三)イエスの十字架の死
(四)十字架の贖罪による救いの限界とイエス再臨の目的
(五)十字架にする預言の
(六)十字架の死が必然的なもののように記されている聖句

 

(一)メシヤとして降臨されたイエスの目的
イエスがメシヤとして降臨された目的は、落人間を完全に救おうとするところにあるので、結局、復帰摂理の目的を成就なさるためであった。ゆえに、イエスは天を完成しなければならず、したがって、地上天を先に現なさるはずだったのである。これは、イエスが弟子たちに「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ五48)と言われたみ言を見ても悟ることができる。創造原理によれば、創造目的を完成した人間は、神と一体となり神性をもつようになるので、罪を犯すことができない。したがって、そのような人間は、創造目的から見れば、天の父の完全なように完全な人間である。それゆえに、イエスが弟子たちに言われたこのみ言は、すなわち創造目的を完成した人間に復され、天人になれという意味のみ言だったのである。このように、イエスは落人間を天人に復させ、地上天をつくるためにられたので、「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」祈りなさいと言われ(マタイ六10)、また、「悔い改めよ、天は近づいた」(マタイ四17)と叫ばれたのである。それで、彼の道を備えるためにた洗ヨハネもまた、「天は近づいた」(マタイ三2)と叫んだのであった。
それでは、創造目的を完成した人間に復さ れ、イエスが言われたとおり、天の父が完全であられるように完全になった人間とは、いかなる人間なのだろうか。このような人間は、神と一体となり、その心 情を体恤することによって、神性をもつようになり、神と一体不可分の生活をするようになるのである。また、この人間は、原罪がないので、再び贖罪する必要 がなく、したがって、救い主が不必要であり、落人間に要求される悔い改めの祈や、信仰の生活も、また必要ではないのである。そればかりでなく、原罪のないこれらの人間は、原罪のない善の子孫を生み殖やすようになり、したがって、その子孫も贖罪のための救い主は必要がないのである。

(二)十字架の贖罪により救いの理は完成されただろうか
イエスキリストの十字架の贖罪により、果たして、復帰摂理の目的が完成され、すべての信徒たちが創造本性を復し、地上天を成就できるようになったであろうか。人類史以、いかに誠な信仰の篤い信徒であっても、神の心情を体恤して、神性をもつようになり、神と一体化し、神と不可分の生活をした人は一人もいない。したがって、贖罪が必要でなく、祈や信仰生活をしなくてもよいような信徒は一人もいないのである。、パウロのような立派な信仰者であっても、ちた祈と信仰生活をしなければならなかった(ロマ七1825)。そればかりでなく、いくら信仰の篤い父母であっても、救い主の贖罪を受けずには、天へ行ける原罪のない子女を生むことはできないということから推察してみても、我は、その父母が依然として、その子女に原罪を遺させているという事を知ることができるのである。
それでは、キリスト信徒たちの、このような信仰生活の相は、我に何を示しているのであろうか。それは、十字架による贖罪が、我の原罪を完全に算することができず、したがって、人間の創造本性を完全に復することができないという事を、端的に物語っているのである。イエスは、このような十字架の贖罪では、メシヤとして降臨された目的を完全に成就することができないことを知っておられたので、再臨なさることを約束されたのである。イエスは地上天を復せしめるみ旨にする神の予定が、絶的であって、更できないことを知っておられたから、彼は再臨して、そのみ旨を完成させようとなさったのである。それでは、十字架の牲は全く無したのであろうか。決してそうではない(ヨハネ三16)。もしそうであったとしたら、今日のキリスト史はあり得なかったのである。我の信仰生活の体から見ても、十字架の贖罪の恩賜がいかに大きいかということは否定できない。そうであるから、十字架が贖罪の役割を果たしていることも事であるが、それが、我の原罪までも完全にがせてくれて、その結果、罪を犯そうとしても犯すことのできない創造本然の人間にまで復せしめて、地上天を成し遂げるまでにはいかなかった、ということもまた事である。そこで、十字架による贖罪の限界は、どの程度であるかが問題とならざるを得ない。この問題が解決できない限り、現代の知性人たちの信仰を導することは不可能である。けれども、この問題を解決するためには、まず、イエスキリストの十字架の死にする問題が明確に分からなければならない。

(三)イエスの十字架の死
はまず、聖書に表された使徒たちの言行を中心として、イエスの十字架の死が必然的なことであったかどうかということについて調べてみることにしよう。使徒たちがイエスの死にして、共通に感ずるはっきりとした一つの情念がある。それは、彼らがイエスの死を恨めしく思い、悲憤慷慨したということである。彼らは、イエスを十字架につけたユダヤ人たちの無知と不信とに憤慨して、その逆無道な行を呪った(使徒七5153)。そればかりでなく、今日に至るまでのすべてのキリスト信徒たちも、また時の使徒たちと同じ心情をもちつづけてきたのである。もしも、イエスの死が神の予定からきた必然的な結果であったならば、使徒たちが、彼の死を悲しむということは避けられない人情であるとはいえ、神の予定どおりに運ばれたその理の結果にして、それほどまでに憤慨したり、恨んだりすることはないはずである。これを見てもイエスは穏当でない死を遂げられたことが推測できるのである。
そのつぎに、は神の理から見て、イエスの十字架の死が、果たして神の予定から起こった必然的な結果であったかどうかについて調べてみることにしよう。神は、アブラハムの子孫からイスラエル選民を召し、彼らを保護育成され、ときには彼らを苦難と試練を通して導かれた。また、多くの預言者たちを彼らに遣わして慰めながら、将来、メシヤを送ることを固く約束されたのである。それから、彼らをして幕屋と神殿を建てさせることによって、メシヤを迎える準備をさせ、東方の博士、羊飼い、シメオン、アンナ、洗ヨハネを遣わして、メシヤの誕生と彼の現をく証された。特に、洗ヨハネにしては、彼が胎されるとき、天使が現れて証した事をユダヤ人たちはみな知っていたし(ルカ一13)、彼が生まれたときの奇跡は、時のユダヤ中を大きく驚かせた(ルカ一6366)。そればかりでなく、荒野における彼の修道生活は、全ユダヤ人をして、彼こそがメシヤではあるまいかと思わせるほど、驚くべきものであった(ルカ三15)。神がこのように偉大な洗ヨ ハネまでも遣わして、イエスをメシヤとして証明させたのは、いうまでもなく、ユダヤ人をしてイエスを信じさせるためであった。このように、神のみ旨があく までも、イスラエルをしてイエスをメシヤとして信ずるようにするためであったので、神のみ旨のとおりに生きるべきイスラエル人は彼をメシヤとして信じなけ ればならなかった。もし、彼らが、神のみ旨のとおりに、イエスをメシヤとして信じたならば、悠久なる史の期間を通じて待った、そのメシヤを、だれが十字架につけて殺したであろうか。イスラエル人がイエスを十字架につけたのは、どこまでも彼らが神のみ旨に反し、イエスをメシヤとして信ずることができなかったからである。したがって、我は、イエスが十字架上で殺されるためにられたのではないということを知らなければならない。
また、は、イエス自身の言行から見て、彼の十字架の死が、果たしてメシヤとしてられたその全目的を果たされるための道であったか、ということについて調べてみることにしよう。
神のすべての理がそうであったように、イエスも、ユダヤ人にして、自分をメシヤとして信ずることができるように語り、行動されたという事を、我は聖書を通して、はっきりと知ることができる。イエスは、弟子たちがいかにすれば神のみ業を行うことができるかと聞いたとき、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」(ヨハネ六29)と彼は答えられた。また、イエスは、ユダヤ人たちの背信行を痛ましく思い、訴えるところなく、都を見渡して泣きながら、神が二〇〇〇年間も苦して愛し導いてこられた全イスラエル選民はもとより、この城までも、一つの石も他の石の上にさず滅ぼされてしまうと嘆かれて、「それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」(ルカ一九4144) と、明白にその無知を指摘されたのである。それだけではなく、イエスは、「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たち を石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おま えたちはじようとしなかった」(マタイ二三37)と言いながら、彼らの頑固と不信を嘆かれたのであった。イエスは、自分のために証している聖書を見ながらも信じない、彼らの無知を責めながら、「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない」(ヨハネ五3940)と悲しまれた。また、彼は「わたしは父の名によってたのに、あなたがたはわたしを受けいれない」と嘆きながら、「もし、あなたがたがモセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モセは、わたしについて書いたのである」(ヨハネ五4346)とも言われた。
イエスは、彼らを信じさせるために、いかに多くの奇跡を見せられたことであろう。ところが、彼らはその驚くべき業を見ながらも、悪霊のかしらベルゼブルによるのだと、イエスを非難したのではなかったか(マタイ一二24)。このような悲な情景を見られたイエスは、「たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」(ヨハネ一〇・38)とも言われた。そればかりでなく、ときには、彼らに災いあれと憤激されたこともあった(マタイ二三1336)。イスラエルをして彼を信ぜしめるのが神のみ旨であったから、イエス自身も、このように彼らに自分を信じることができるように語られ、行動されたのである。もし、ユダヤ人たちが神のみ旨にい、そして、イエスの願いのとおり、彼をメシヤとして信じたならば、だれが彼を死の十字架に追いこんだであろうか。
は、に論述したすべての事から見て、イエスの十字架の死は、彼がメシヤとしてられた全目的を完成するための予定から起こった必然的なことではなく、ユダヤ人たちの無知と不信の結果に起因したものであることを知ることができる。それゆえに、コリント二章8節の「この世の支配者たちのうちで、この知を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、光の主を十字架につけはしなかったであろう」といった聖句は、まさしくこの事を十分に証言しているといえる。もし、イエスの十字架の路程が、神が本予定された路程であったならば、彼は然行くべき道をんでいることになり、何のために、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と、三回も祈されたであろうか(マタイ二六39)。これは、人間が落して以後四〇〇〇年間も、神が成し遂げようとして苦された地上天が、ユダヤ人の不信によって成就されずに、イエスが再臨されるまで、苦難の史がそのまま延長されるということをよく知っておられたからである。
ヨハネ福音書三章14節を見れば、イエスは、「モセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」と言われた。イスラエル民族がエジプトからカナンに入るときに、火の蛇が出て、彼らをかみ殺すようになったので、神は銅の蛇をさおの先に付けさせて、それを仰ぎ見る者は救われるようになさった。それと同に、ユダヤ民族が、イエスを信じないことから、万民が地獄へ行かなければならなくなったので、将来、イエスが銅の蛇のように十字架につけられたのち、それを仰ぎ見て信じる者だけが、救いを受けることができるようになるということを予見されて、イエスは悲しい心情をもって、そのように言われたのである。
イエスが預言されたように(ルカ一九44)、彼が亡くなられたのち、イスラエル選民が衰亡したのを見ても、イエスはユダヤ人たちの不信によって死の十字架につけられたことが分かる。イザヤ書九章6節以下に、「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれにえられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、し加わって限りなく、ダビデの位に座して、そのを治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである」と記されている。これは、イエスがダビデ王の位をもってきて、永遠に滅びない王を建てることを預言したみ言である。それゆえに、イエスが胎されるときも、天使がマリヤに現れて、「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう、その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をおえになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなくくでしょう」(ルカ一3133)というみ言をえたのである。
これによって、神がアブラハムからイスラエル選民を召し、二〇〇〇年間も苦難の中で導いてこられたのは、イエスをメシヤとして降臨させて、永遠に存する王を打ち建てるためであったことが了解できるのである。イエスがメシヤとしてられてから、ユダヤ人たちに迫害され十字架で亡くなられたのち、彼らは選民の資格を失い支離滅裂となって、今日に至るまで民族的な虐待を受けてきたのである。それは、彼らが信奉すべきメシヤをかえって殺害して、救いの理の目的を失敗させたその犯罪にする罰であった。そればかりでなく、イエス以後多くの信徒たちが経験してきた十字架の苦難も、イエスを殺害した連的犯罪にする刑罰であったのである。

(四)十字架の贖罪による救いの限界とイエス再臨の目的
もし、イエスが十字架で死ななかったならば、どんなふうになったであろうか。イエスは面の救いの理を完遂されたであろう。そして、預言者イザヤの預言(イザヤ九6、7)と、マリヤに現れた天使の啓示(ルカ一31~33)のとおり、また、イエスが親しく、天は近づいたと言われたみ言(マタイ四17)のように、彼は永遠に滅びない地上天を建設されたはずであった。
神は人間を創造されるとき、土で肉身を創造され、そこに命の息を吹き入れて生となるようにされた(創二7)。このように、と肉から創造された人間であるので、落もまた肉共に起きてきた。したがって、救いも的救いと、肉的救いとを共に完成しなければならないのである。イエスがメシヤとして降臨された目的は、この救いの理を完遂なさるためであったので、彼は的救いと肉的救いとを共に完成しなければならなかったのである。イエスを信じることは、イエスと一体となることを意味するので、イエスは自らをぶどうの木に、信徒たちをその枝に例えられ(ヨハネ一五5)、また「あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」(ヨハネ一四20)とも言われた。このように言われた理由は、落人間を肉共に救うために、彼が人間としてられたので、彼を信じて肉共に彼と一体となったならば、落人間も肉共に救いを受けたに違いないからである。ところが、ユダヤ人たちがイエスを信じないで、彼を十字架につけたので、彼の肉身はサタンの侵入を受け、ついに殺害されたのである。そのため肉身にサタンの侵入を受けたイエスを信じて、彼と一体となった信徒の肉身も、同じようにサタンの侵入を受けるようになったのである。
こういうわけで、いくら篤信者であっても、イエスの十字架の贖罪では、肉的救いを完成することができなくなったのである。したがって、アダム以の血統的原罪は算することができず、いくら誠によく信じる信徒であっても、彼に原罪がそのままるようになり、また、原罪のある子女を生むようになるのである。我が信仰生活において、肉身の苦行をしなければならないのは、原罪がっているところから、絶え間なく肉身を通じて入ってくるサタン侵入の件を防ぐためであり、「絶えず祈りなさい」(テサロニケ17)と言われたのも、このように、十字架の贖罪によっても根絶できなかった、原罪によるサタン侵入の件を防ぐためなのである。
上述のように、イエスは、彼の肉身がサタンの侵入を受けたので、肉的救いの理の目的は達成されなかったのである。しかし、彼は十字架の血の贖罪で、復活の勝利的な基台を造成することによって、的救いの基台を完成された。それゆえ、イエス復活以後、今日に至るまでのすべての信徒たちは、的救いの理の恵沢だけを受けることができるのである。このように、十字架の贖罪による救いは的な救いだけで、篤信者といっても、原罪は肉的に依然としてっており、それが引ききその子孫たちに遺してきたのである。このために、信徒たちはその信仰が深くなればなるほど、罪にして熾烈ないをするようになる。このようにイエスは十字架で算できなかった原罪を贖って、肉的救いを完成し、肉ともの救いの理の目的を完遂なさるために、地上に再臨されなければならなくなったのである。
上記のように、十字架の贖いを受けた信徒たちも、原罪とわなければならないので、使徒の中で信仰の中心であったパウロも、肉的に入ってくる罪の道を防ぐことができない自身を嘆いたあげく、「わたしは、なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって……わたしをとりこにしているのを見る」(ロマ七2223)と言った。これは、的救いの完成にする喜びと同時に、肉的救いの未完成にする悲嘆を表明したものといえる。また、ヨハネ一章8節から10節に「もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、理はわたしたちのうちにない……もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神をり者とするのであって」と言ったヨハネの告白のとおり、イエスの十字架の救いを受けている我も、依然として原罪のために罪人であることを免れることはできないのである。

(五)十字架にする預言の
イエスの十字架の死が、メシヤとしてられた全目的を完成するための予定からきた必然的な事でないならば、イザヤ書五三章に、彼が十字架の苦難を受けることが預言されている理由はどこにあるのだろうか。今まで、我は、イエスが苦難を受ける預言のみ言だけが聖書にあると思っていた。しかし、原理が分かって聖書を再すれば、約時代に、に預言者イザヤによって預言されたイザヤ書九章、一一章、六章などのみ言どおり、神がマリヤに天使を遣わして、将来懐胎されるイエスが生きておられる間にユダヤ人の王となり、世限りなく滅びることのない王を地上に建設されることを預言された事が分かるようになる(ルカ一3133)。それでは、なぜこのように、イエスにする預言が面をもってなされているかということについて、調べてみることにしよう。
神は人間を創造されるときに、人間自身が責任分担を果たすことによってのみ完成できるように創造された(前編第一章第五節(二)(2))。ところが際においては、人間始祖は彼らの責任分担を完遂できずに落してしまった。このように、人間は神のみ旨のとおりに、自分の責任分担を完遂することもできるが、反に、神のみ旨に反して、その責任分担を果たさないことも起こり得たのである。
このような例を聖書でげてみれば、善の果を取って食べないのが人間の責任分担であった。アダムは神のみ言により、それを取って食べないで完成することもできるが、その反面、結果に表れた事のように、取って食べて死ぬようなことも起こり得る事だったのである。また、神は約時代の救いの理のための人間の責任分担の件として、十戒を下さった。人間はそれを守って救いを受けることもできるが、またそれを守らずに滅びることもあり得ることだったのである。エジプトからカナンの福地に向かって出したイスラエル民族が、モセの命令に服することは、彼ら自身が立てるべき責任分担であったので、彼らがモセの命令に順にってカナンの福地に入ることもできるが、また、わずに入れないということもあり得たのである。事、神はモセが、イスラエル民族を導いてカナンの福地に入ることを予定されて(出エ三8)、彼にこれを命令されたが、不信によって、彼らはみな荒野で倒れ、その子孫たちだけが目的地を求めていくことができたのである。
このように、人間には、人間自身が遂行すべき責任分担があって、神のみ旨どおりにそれを成し遂げることもできるし、逆に、そのみ旨に反して、成し遂げられないこともあり得る。このように、人間は人間自身の責任分担の遂行いかんによっては、そのいずれの結果をももたらすようになるのである。したがって、神はみ旨成就にする預言を面性をもってなさざるを得なかったのである。
メシヤを遣わすことは、神の責任分担であるが、られるメシヤを信ずるか否かは、人間の責任分担にする。それゆえに、遣わしてくださるメシヤを、ユダヤ民族が神のみ旨のとおりに信じることもできるが、神のみ旨に反して信じないということも起こり得ることだったのである。したがって、人間の責任分担の遂行いかんによって生ずる面の結果に備えて、神はイエスのみ旨成就にする預言を二とおりにせざるを得なかったのである。そうであるから、イザヤ書五三章の記のように、ユダヤ民族が信じない場合にする預言もなさったのであるが、また、イザヤ書九章、一一章、六章とルカ福音書一章31節以下の記のように、彼らがイエスをメシヤとして侍って、光の中にみ旨を成就するという預言もされたのである。しかし、ユダヤ人の不信により、イエスは十字架に亡くなられたので、イザヤ書五三章の預言だけがなされ、イザヤ書九章、一一章、六章とルカ福音書一章31節以下の預言は、みな再臨されてから成し遂げられるみ言としてされてしまったのである。

(六)十字架の死が必然的なもののように記されている聖句
福音書を見れば、イエスの十字架の苦難が必然的であるかのように記されているところが多い。その代表的なものをげてみれば、イエスが十字架で苦難を受けることを預言されたとき、これを止めるペテロを見て、「サタンよ、引きさがれ」(マタイ一六23)と責められたことから見て、彼の十字架の死は必然的であったかのように感じられる。そうでなければ、イエスはどうして、ペテロをそれほど責められたのだろうか。これは、のところ、イエスはそのときに、ユダヤ人たちの不信により、結局、肉ともの救いの理は完成することができない態になっていたので、的救いだけでも達成なさるために、その蕩減件として、やむを得ず十字架の道を行くことに決定されたときだったからなのである(ルカ九31)。そんなときに、ペテロがこの道を遮るのは、結局、十字架による的救いの理の道さえも妨害することになるので、このように責められたのである。
また、イエスが十字架上で「すべてが終った」(ヨハネ一九30)と、最後のみ言をされたのは、十字架上で救いの理の全目的が完成されたという意味ではない。ユダヤ人たちの不信は、もはや、取り返すことができないものであると悟られたので、その後、肉的救いは再臨後の理としてし、せめて的救いの理の基台だけでも造成なさるために、十字架の路程を行かれたのである。それゆえに、「すべてが終った」と言われたみ言は、ユダヤ人たちの不信により、第二次的な救いの理の目的として立てられた十字架による的救いの理の基台が、すべて終わったということを意味するのである。
が正しい信仰をもつためには、第一に祈により、神によって、神と直接交すべきであり、その次には、聖書を正しくむことによって、理を悟らなければならない。イエスが神理で礼拝せよ(ヨハネ四24)と言われた理由はここにある。
イエス以後今日に至るまで、あらゆる信徒たちは、イエスは十字架の死の道を行かれるために、この世に降臨されたとばかり考えていた。しかし、これは、イエスがメシヤとしてられた根本目的を知らず、的救いがイエスのびてこられた使命の全部であるかのように誤解していたからである。生 きてみ旨を完成するために降臨されたのにもかかわらず、ユダヤ人の不信によって、願わざる十字架の道を行かれたイエスの悲痛な心情を晴らし、彼のみ旨に協 力する新婦が、もし地上に現れなければ、イエスはいったいだれと共にそのみ旨を完成しようとして再臨されるであろうか。「しかし、人の子がるとき、地上に信仰が見られるであろうか」(ルカ一八8)と言われたイエスのみ言は、まさしくこのような人間の無知を予想されて慨嘆されたみ言であった。ここで我は、聖書を中心として、イエスはあくまでも死ぬために降臨されたのではなかったという事を明らかにしたが、交によって、イエスに直接聞いてみれば、一層明白にこの事を知ることができる。もしも、自分が通できないならば、他人の証を通じてでも、正しい信仰をもって初めて、終末において、メシヤを迎えることができる新婦の資格を備えることができるのである。

 

第二節 エリヤの再臨と洗ヨハネ

(一)エリヤの再臨を中心とするユダヤ人たちの心的動向
(二)ユダヤ民族の行く道
(三)洗ヨハネの不信
(四)洗ヨハネがエリヤになった理由
(五)聖書にする我の態度

 

エリヤが再臨するということは、に、マラキ預言者が預言したことであって(マラキ四5)、洗ヨハネが、正に再臨したエリヤであるということは、イエスの証言であったのである(マタイ一一14、マタイ一七13)。ところが、洗ヨハネがエリヤの再臨者であったということは、一般ユダヤ人はもちろん、洗ヨハネ自身も知らなかったので(ヨハネ一21)、このときから、イエスにする洗ヨハネの疑惑(マタイ一一3)と、これに伴うユダヤ人たちの不信は日しに深くなって、ついにはイエスが十字架の道を行かなければならなくなったのである。

(一)エリヤの再臨を中心とするユダヤ人たちの心的動向
統一王時代において、ソロモンの落により、彼の神殿理想はサタンの侵入を受けるようになった。そして、成就できなかった神殿理想を再び探し立てて、体神殿としてのメシヤを迎えさせるために、神は四大預言者と十二小預言者を遣わし、サタン分立の理をされた。また、神は特別預言者エリヤを遣わし、カルメル山でバアル預言者たちと決させて、バアル神を滅ぼされたのも、このような理想現のみ言を遮るサタンを滅亡させるためであった。しかし、エリヤは彼の天的な使命を完遂できずに昇天したので(列王下二11)、メシヤを迎えるためにサタンを分立していく路程で、再びサタンが行するようになったのである。ゆえに、イエスの体神殿理想が成し遂げられるためには、前もって、エリヤが地上で完遂できなかった、サタン分立の使命を承完遂せしめる理がなくてはならない。このような理的な必然性によって、預言者マラキは、エリヤが再臨することを預言したのであった(マラキ四5)。
預言者たちの預言を信じていたユダヤ人たちの唯一の願いは、もちろんメシヤの降臨であった。けれども、それ以上にユダヤ人たちが望してきたのは、エリヤの再臨であったのである。なぜならば、上述したように、神はマラキ預言者を通じて、メシヤの降臨に先立ち、彼の道を直くするために、預言者エリヤを遣わされると、はっきり約束されたからである(マラキ四5)。ところが、エリヤはに、イエスが誕生される九〇〇余年前に昇天した預言者であって(列王下二11)、彼は確かに界におり、イエスの弟子たちに現れた事があった(ルカ九30)。そこで、ユダヤ民族は天にとどまっているエリヤが再びるときには、必ず前に昇天したそのままの子で天から降りてくるだろうと信じていた。あたかも、今日のキリスト信徒たちが、イエスが雲にって再臨されるものと考えて、天を仰ぎ見ているように、時のユダヤ人たちも、天を仰ぎ見ながらエリヤが再臨することを待ち望んだのであった。
しかし、預言者マラキの預言にあった、エリヤの再臨の消息もないのに、イエスが突然メシヤを自して現れたため、エルサレムに一大混が起こったのは然であった。それゆえに、マタイ福音書一七章10節を見れば、弟子たちが行く先ごとに、もし、イエスがメシヤならば、それより先立ってると約束されている(マラキ四5)エリヤは、どこにているかという攻を受けるようになった。弟子たちはその答えに困って、直接イエスに質問した結果(マタイ一七10)、まさしく、洗ヨハネこそ彼らが待ち望んでいたエリヤであるとイエスは答えられたのである(マタイ一一14、マタイ一七13)。弟子たちはイエスをメシヤとして信奉していたので、洗ヨハネが確かにエリヤであると言われたイエスの証言を、そのまま信じることができたが、イエスがだれであるかも知らない他のユダヤ人たちは、いったいどうしてイエスのこのような証言を、そのまま受け入れられるだろうか。イエス自身も、ユダヤ人たちが、自分の証言を喜んで受け入れないだろうということを知っておられたので、「もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである」(マタイ一一14)と言われたのである。しかしユダヤ人たちをして、洗ヨハネがエリヤであると言ったイエスの証言を一層信じられなくしたものは、ヨハネ福音書一章21節の記に見るように、やはり、洗ヨハネ自身がに、自分はエリヤでないとはっきり否認したことであった。

(二)ユダヤ民族の行く道
イエスは、洗ヨハネを指して、彼こそまさしく、ユダヤ人たちが待ち望んでいたエリヤであると言われたのであるが(マタイ一一14)、これと反に、人である洗ヨハネ自身は、にこの事を否認してしまった。ではいったいユダヤ民族は、だれの言葉を信じ、っていくべきなのであろうか。それはいうまでもなく、時のユダヤ人たちの目に、イエスと洗ヨハネの二人のうち、だれがより信じられる人物として映ったかによって、左右される問題であると見なければならない。
それでは先に、時のユダヤ民族の立場から見て、イエスの姿がどんなふうに映ったかを調べてみることにしよう。イエスは貧しい大工の家庭で成長した一人の無年であった。このような年が名もない布者として立ちあがり、自ら安息日の主であるとしながら、ユダヤ人たちが命のごとく考える安息日を破った(マタイ一二1~8)。それだから、イエスはユダヤ人の救いの基準である律法をする人として知られるようになったのである(マタイ五17)。したがって、イエスはユダヤ人の指導者たちから信じられなくなり、やむを得ず、漁夫を呼んで弟子とし、取人と遊女と罪人たちの友達となって、共に食べたり、んだりしたのである(マタイ一一19)。そうしながらイエスは、ユダヤ人の指導者たちよりも、取人と遊女の方が先に天に入る(マタイ二一31)と主張された。
一人の女がイエスの足をでぬらし、自分のでぬぐい、その足に接吻して、高な香油を塗ったことがあった(ルカ七3738)。このような行動は、今日の社においても許容し難いことであるが、まして、淫行の女は石で打ち殺してもよいというほど、ユダヤ人の格な倫理社において、どうしてそれを許容できるであろうか。しかも、イエスはこれを受け入れたばかりでなく、その女の態度を非難する弟子たちをとがめ、かえってその女を称賛された(ルカ七4450、マタイ二六7~13)のである。
また、イエスは自分を神と同等な立場に立てて(ヨハネ一四9)、自分によらないでは天に入ることができないと主張し(ヨハネ一四6)、自分を彼らの父母や兄弟、妻子よりも、もっと愛さなければならないと調された(マタイ一〇・37、ルカ一四26)。イエスの姿は、このようなものであったので、ユダヤ人の指導者たちは、彼を悪霊のかしらベルゼブルに接した者と非難し、嘲笑した(マタイ一二24)。イエスにするこのような前後の事情を合してみるとき、時のユダヤ人たちの目に映ったイエスは、決して信じられる存在ではなかったのである。
つぎに、我時のユダヤ民族の立場から見た洗ヨハネの姿は、どんなものであったかについて調べてみることにしよう。洗ヨハネは、時の名門の出である祭司ザカリヤの子として生まれた(ルカ一13)。彼の父親が聖所で香を焚いていたとき、その妻が男の子を胎するだろうという天使の言葉を信じなかったためにとなったが、ヨハネが出生するや否や口がきけるようになった。この奇跡によって、ユダヤの山野の隅に至るまで世人を非常に驚かせた(ルカ一8~66)。そればかりでなく、荒野でいなごと野蜜を食しながら修道した素晴らしい信仰生活を見て、一般ユダヤ人たちはもちろん、祭司長までも、彼がメシヤではないかと問うほどに(ルカ三15、ヨハネ一20)素晴らしい人物に見えたのである。
に明らかにしたように、その時の事情から見て、ユダヤ人たちの立場から、イエスの姿と洗ヨハネの姿とを比較してみるとき、果たして彼らはだれの言葉がより信じられたであろうか。それは洗ヨハネの言葉であったということはいうまでもない事である。したがって、ユダヤ人たちが、洗ヨハネのことをエリヤであると言ったイエスの証言よりも、自分はエリヤではないと否認した洗ヨハネの言葉の方を、一層信じたのは然であった。ユダヤ人たちが洗ヨハネの言葉を信じるようになったとき、イエスの証言はメシヤを自するための一種の証となってしまったので、イエスは自然、妄言者として追いつめられざるを得なかったのである。
このように、イエスが妄言者として追いつめられるようになったとき、に述べたようなイエスの姿はみな、ユダヤ人たちには疑わしいものばかりであったから、イエスにする彼らの不信の度は、だんだんと深まるばかりであった。ユダヤ人たちがイエスを信じないで、洗ヨハネの言葉を信じるようになれば、エリヤはまだていないと考えるよりほかはなく、したがって、メシヤが降臨されたということは、想像さえすることができなかったのである。
このような点から見るとき、ユダヤ人たちは、マラキの預言を信じる立場に立てば、まだエリヤはていないのであるから、メシヤとして自するイエスを見捨てるよりほかはなく、これと反に、イエスを信じる立場に立てば、エリヤがたのちにメシヤがると預言した聖書を捨てる以外にはないという二者一の立場であった。そこで、到底神の預言を捨てることができなかったユダヤ人たちは、やむを得ず、イエスを信じない道を選ぶ以外に仕方がなかったのである。

(三)洗ヨハネの不信
に詳述したように、時の祭司長や、全ユダヤ人たちが、洗ヨハネを崇敬するその心は、ついに彼をメシヤであると信じさせるまでに至った(ルカ三15、ヨハネ一20)。したがって、もし洗ヨハネが、イエスが証言されたとおり、自分が正にそのエリヤであると宣布したならば、メシヤを迎えるためにまずエリヤを待ち望んでいた全ユダヤ人たちは、然、その洗ヨハネの証言を信じるようになり、みな、イエスの前に出たに相違ない。しかし、最後まで自分はエリヤではないと主張した洗ヨハネの、神の理にする無知は、ユダヤ人たちがイエスの前に出る道をふさいでしまう主要な原因となったのである。
かつて洗ヨハネは、自分は水で洗を授けるが、自分のあとからる人(イエス)は、火と聖とによって洗を授ける方であり、自分は彼の靴をがせてあげる値打ちもないと証言した(マタイ三11)。そればかりでなく、ヨハネ福音書一章33節から34節を見れば「わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかた(神)が、わたしに言われた、『ある人の上に、御が下ってとどまるのを見たら、その人(キリスト)こそは、御によってバプテスマを授けるかたである』。わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」と言った洗ヨハネの告白が記されている。このように、神は、イエスがメシヤであるということを、洗ヨハネに直接示された。洗ヨハネ自身も、またそのように証した。また、ヨハネ福音書一章23節を見れば、自分は彼の道をまっすぐにするための使命をもってきたと証した。それだけではなく、ヨハネ福音書三章28節には、自分はキリストに先立って遣わされた者であることを言明した記がある。それだから、洗ヨハネは、然自分がエリヤであるという事を、自らの知で悟らなければならなかった。たとえ、洗ヨハネがその事をまだ自できなかったとしても、に、天からイエスがメシヤであるという証を受けて知っていた上に(ヨハネ一33、34)、イエスが親しく自分をエリヤであると証言なさったのであるから、そのみ言にい、私こそ、まさしくエリヤであると、ればせながらでも宣布するのが、然の道理であった。しかし、彼は神のみ旨にして無知であったので(マタイ一一19)、イエスの証言を否認したばかりでなく(ヨハネ一21)、そののちにも、理の方向と道を異にしてんだのである。このような洗ヨハネを見ているイエスの心情や、またこのような困難な立場におかれたイエスを見ておられる神の心情は、いかばかり悲しかったであろうか。
、洗ヨハネがイエスに洗を授け、彼を証したことによって、彼の証人としての使命はみな終わったのであった。では、その後における彼の使命は何であったのだろうか。彼の父親ザカリヤは聖によって感動させられ、まだ胎にいた洗ヨハネにして「生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである」(ルカ一75)と、彼の使命を明白に預言したのであった。それゆえに、ヨハネはイエスを証したのちには、彼の前に一人の弟子の立場で彼にい、仕えなければならなかったのである。けれども、彼はその後、イエスと離れて、別に洗を授けていたので、ルカ福音書三章15節を見れば、ユダヤ人たちはかえって洗ヨハネをメシヤと混同したのである。また、ヨハネ福音書一章20節を見れば、祭司長までも、このように混同したことが分かるのである。そのことだけでなく、イエスにう者と、洗ヨハネの弟子とが、お互いに自分の先生の方が洗を多く授けると、潔を中心としてったこともあった(ヨハネ三25)。ヨハネ福音書三章30節で、洗ヨハネが、「彼は必ずえ、わたしは衰える」と言っているのを見ても、彼はイエスと興亡盛衰の運命を共にしなかったということを、我ははっきりと知ることができる。ヨハネがイエスと運命を全く共にする立場に立ったならば、何故に、イエスがえるときに彼は衰えるであろうか。上、イエスの福音は、だれよりも先に洗ヨハネ自身がえるべきであった。しかし、彼の無知によりこの使命を完遂することができず、ついには、イエスのためにささげるべき彼の命までも、あまり値もないことのために牲にしてしまったのである。
ヨハネは、その中心が天の方にあったときには、イエスをメシヤと知って証した。けれども、彼から的な理が切れて、人間洗ヨハネに立ちるや、彼の無知は、一層イエスにする不信を引き起こすようになったのである。自分がエリヤである事を自できなかった洗ヨハネは、特に、獄中に入ってから、他のユダヤ人たちと同じ立場で、イエスを見るようになった。したがって、イエスのすべての言行は人間洗ヨハネの目には、一に理解できないものとして映るばかりであった。そればかりでなく、彼もやはり、エリヤがる前に現れたイエスをメシヤとして信ずることができなかったので、結局、自分の弟子たちをイエスの方に送って、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」(マタイ一一3)と質問して、その疑いを解決してみようとしたのである。しかし、このような洗ヨハネの質問を受けたイエスは、マタイ福音書一一章3節から19節に記されているように、悲憤やるかたない思いで、警告の意味をめた容で答えられた。洗ヨハネはイエスに仕えるために胎から選ばれ(ルカ一75)、彼の道をまっすぐにするために、荒野で苦難の修道生活をしたのであった。さらにまたイエスが公生涯路程を出されるときに、天はだれよりも先に、イエスがだれであるかを彼にえ、また、それを証言させてくださった。このような天の恩賜をそのまま受け入れなかった洗ヨハネから、そのような質問を受けたので、イエスは改めて、自分がまさしくメシヤであるとは答えられなかったのである。彼は、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえはき、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人は福音を聞かされている」(マタイ一一4、5)と、婉曲な返事をなさった。もちろん、洗ヨハネがイエスのこのような奇跡を知らないはずがなかった。それにもかかわらず、イエスがこのように言われたのは、自身が行われたことを、洗ヨハネに再び想起させることによって、自分がだれであるかを知らせるためであった。
貧しい人が福音を聞かされている(マタイ一一5)と言われたみ言には、洗ヨハネとユダヤ人たちの不信にするイエスの悲愴な心情が潜んでいることを知らなければならない。選民として呼ばれたユダヤ民族、その中でも、特に洗ヨハネは、天の愛をあふれるほど受けたまれた者であった。しかし、彼らはみなイエスに逆らったので、イエスは仕方なく、ガリラヤの海からサマリヤの地を遍しながら、貧しい者のうちで福音を受ける者を求められたのであった。無不識な漁夫と取人と遊女たちは、みなこのような貧しい者たちであった。事、イエスが探し求めようとした弟子たちは、そのような者たちではなかったのである。地上天を建設するためにられたイエスであるから、彼には、ただってくるだけの千人よりも、先に立って千人を指導できる一人の指導者の方がより必要だったのである。ゆえに、イエスは天があらかじめ備えた能力ある群れを探すために、一番先に神殿に入り、祭司長と律法者たちに福音をえたのではなかったか。
しかし、イエスが親しく言われたように、あらかじめ備えられた宴席に招待を受けた客たちは一人もじなかったので、やむを得ず町の通りに出て、彷徨する乞食どもを呼び集めなければならなかったのである。このように、招かれざる客をしか迎えに出られぬイエスの悲しい心情から、ついに、「わたしにつまずかない者は、さいわいである」(マタイ一一6)という審判のみ言が吐かれたのである。洗ヨハネは時のユダヤ人たちが、あるいはメシヤ、あるいはエリヤ、あるいは預言者であると考えるくらいに立派な人であった(ルカ三15、ヨハネ一2021)。ところが、いくら立派な人であっても、自分(イエス)につまずいた者には何の幸いがあるだろうか、という間接的な表現を通して、洗ヨハネの運命を審判されたのである。それでは、洗ヨハネはいかなるつまずきをしたのであろうか。それは、に上述したように、彼は一生涯い、仕えるべき使命があったのを果たすことができなかったということである。
質問にた洗ヨハネの弟子たちが去ったのち、イエスは使命的な面から見て、洗ヨハネは本最も偉大な預言者としてたにもかかわらず、今、任されたその使命を果たさない立場にいるのを指摘されて、「あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天で最も小さい者も、彼よりは大きい」(マタイ一一11)と言われた。にいるあらゆる人たちは、地上の女から生まれ、地上生活を通過していった人たちである。女の人が生んだ者の中で一番大いなる人であるならば、天でも一番大いなる者になるべきであるのに、史上一番大いなる者として地上に生まれた洗ヨハネが、どうして天では最も小さい者よりも劣るのであろうか。昔の多くの預言者たちは、将来来られるメシヤを、時間的に遠い距離において、間接的にこれを証したのであった。しかし、洗ヨハネは、メシヤを直接的に証言する使命をびてたのであった。それゆえに、メシヤを証言することが預言者の使命であるならば、証する立場から見て、メシヤを直接に証した洗ヨハネは、間接的に証言をしたいかなる預言者よりも偉大であったのである。ところが、メシヤに仕えるという点から見るとき、彼は一番小さい者であらざるを得なかった。なぜならば、天ではいかに小さな者であっても、早くからイエスをメシヤと知って仕えているのに、だれよりもメシヤに近く仕えるべき位置に召された洗ヨハネが(ルカ一75)、かえって、イエスと別個の道をいたからである。それで、彼は天のごく小さい者よりも、イエスを信奉しない立場におかれるようになったのである。また、その次の節には、「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」と記されている。メシヤに仕えるために胎より選ばれ、荒野でそれほど難しい修道生活をしてきたヨハネが、イエスによく仕えたならば、彼は必然的に、イエスの一番弟子になるはずであった。しかし、その使命を果たさなかったので、イエスの一番弟子の位置はペテロに奪われてしまった。ここに、「洗ヨハネの時から今に至るまで」と、時間的な限界をおいたのを見れば、その次に記されているみ言は、一般の人にして言われたのでなく、洗ヨハネにして言われたみ言であることが分かる。イエスは結論的に、「知の正しいことは、そのきが証明する」と言われた。ヨハネに知があって、知のある行動をとったならば、イエスのひざもとを離れることもなかったし、したがって、彼の行跡は永遠に義なるものとしてるべきであったが、不幸にも彼は無知であったので、彼自身はもちろんのこと、ユダヤ人たちがイエスの前に出る道さえも、みな遮ってしまったのである。我は、これによって、イエスが十字架の死を遂げるようになった大きな要因が、洗ヨハネにあったことが分かるのである。また、使徒パウロがコリント二章8節に、「この世の支配者たちのうちで、この知を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、光の主を十字架につけはしなかったであろう」と言い、洗ヨハネをはじめ、すべてのユダヤ人たちが知がなくて、イエスを十字架につけてしまったと、嘆いた事のあることも分かる。

(四)洗ヨハネがエリヤになった理由
は上述した事(本章第二節(一))により、エリヤが地上で、全部果たせなかった使命を承完成するために、洗ヨハネがたことを知った。彼は、ルカ福音書一章17節に記されているとおり、エリヤの心と能力をもって、主のみ前に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いをもたせて、整えられた民を主に備えるために生まれた人物であった。それゆえに、彼は使命的な立場から見て、エリヤの再臨者となるのである。これにする詳細なことは、復活論で明らかにするが、エリヤは地上にいる洗ヨハネに再臨して、彼が使命を全うするように協助して、自分が地上の肉身生活で果たせなかった使命を、洗ヨハネの肉身を通して、彼によって完成させようとしたのであった。したがって、洗ヨハネはエリヤの肉身の身代わりとなる立場にあったので、使命を中心として見れば、彼はエリヤと同一の人物になるのである。

(五)聖書にする我の態度
は、に、聖書のみ言によって、イエスにする洗ヨハネの無知と不信は、ユダヤ人たちの不信を招し、ユダヤ人たちの不信は、ついにイエスを十字架につけるようになってしまったという事を知った。
しかし、イエス以後今日に至るまで、このような天的な秘密を明らかにした人は一人もいなかった。これは、洗ヨハネを無件に偉大な預言者であると定した立場からのみ聖書を見てきたからである。我は、因習的な信仰念と態をけでられないかたくなな信仰態度を、固として捨てなければならないことを、この洗ヨハネの問題を通じてえられる。使命を果たして行った洗ヨハネを、使命を果たさなかったと信じることも不であるが、事上、使命を果たさなかった洗ヨハネを、よくも知らずに、全部果たしたと信じることも正しい信仰ではない。我は神面においても、理面においても、常に正しい信仰をもつために努力しなければならない。我は、今まで、聖書のみ言により、洗ヨハネの相を明らかにしたが、だれでも通して、界にいる洗ヨハネの姿を直接見ることができる信徒たちには、ここに記されたみ言がみな真実であるということを、もっとよくのみこむことができるであろう。