第五章 メシヤ再降臨準備時代

第一節 宗改革期

第二節 宗および思想の闘争

第三節 政治、経済および思想の成熟期

第四節 世界大

 

メシヤ再降臨準備時代とは、西一五一七年の宗改革が始まったときから、一九一八年第一次世界大が終わるまでの四〇〇年間をいう。この時代の性格にする大綱は、同時性から見たメシヤ降臨準備時代との照においてに論述したが、ここで、もう少し詳細に調べてみることにしよう。復帰摂理から見て、更に、この期間は宗改革期、宗および思想の闘争期、政治と経済および思想の成熟期などの三期間に分される。

 

第一節 改革期(一五一七~一六四八)

(一)文芸復興
(二)宗改革

 

西一五一七年、ドイツでルタが宗改革の旗を揚げたときから、一六四八年、ウェストファリア約によって新旧両教徒間の闘争が終わるまでの一三年の期間を、宗改革期とする。この期間の性格は、中世封建社の所産である文芸復興と、宗改革とによって形作られる。神が中世社を通して成し遂げようとされた理の目的を成就できなくなったとき、これを新しい史の方向へ換させて、「再臨のメシヤのための基台」を造成していくにたって中的な使命を果たしたのが、正に文芸復興(Renaissance)と宗改革(Reformation)であった。したがって、これらにすることを知らなければ、この時代にする性格を知ることができない。文芸復興と宗改革が中世封建社の所産であるとするならば、この社が中世の人間の本性に、いかなる影響をえてこれらのものを生みだすようになったのであろうか。
中世は、封建制度とロカトリックの世俗的な落からくる社環境によって、人間の本性が抑され、自由な展を期待することができない時代であった。、信仰は、各自が神を探し求めていく道であるので、それは個人と神との間に直接に結ばれる的な係によってなされるのである。それにもかかわらず、法王と僧侶の干と形式的な宗儀式とその規範は、時の人間の信仰生活の自由を拘束し、その格な封建階級制度は、人間の自由な信仰活動を束縛したのであった。そればかりでなく、僧侶の僧官買と人民にする搾取によって、彼らの生活は一層奢侈と享に流れた。したがって、法王は一般社力機と何らわりない非信仰的な立場に立つようになり、彼らは民の信仰生活を指導することができなくなったのである。このように、中世封建時代の社環境は、人間の創造本性を復する道を遮っていた。ゆえに、このような環境の中に束縛されていた中世の人たちは、本性的にその環境を打ち破って、創造本性を復しようとする方向へ向かって動かざるを得なかったのである。このようにして、人間の本性は明らかに面の性向をもって現れたのであるが、その創造原理的根はどこにあるかを調べてみることにしよう。
創造原理によれば、人間は神の二性性相にする形象的な象としてつくられたのであるから、神の本性相と本形に似ている。また、その性相と形は、的なものと外的なものとの係をもっている。人間は、このような的な性相と外的な形との授受作用によって生存するように創造されたので、このように創造された人間の本性も、面の欲望を追求するようになる。それゆえに、神がこのような人間にして復帰摂理をなさるときも、人間本性の面の追求に対応する理をせざるを得ないのである。ところで、神は元、人間の外的な肉身を先に創造され、その次に的な人体を創造されたので(創二7)、再創造のための復帰摂理も、外的なものから、的なものへと復していく理をされるのである。に、後編第一章で論述したように、落人間は、外的な「象徴献祭」をささげた基台の上においてのみ的な「祭」をささげることができ、ここで成功することによってのみ、更に的な「メシヤのための基台」をつくり得るのであるが、その理由はここにあるのである。したがって、落人間を復されるにたっても、約前時代には祭により「僕の僕」としての立場(創九25)を、約時代には律法により僕の立場(レビ二五55)を、そして新約時代には信仰によって養子の立場(ロマ八23)を、成約時代には心情によっての子女の立場を復する、という順序で理を運ばれたのである(後編第二章第三節(三)(2))。またによって先に外的な社環境を復しながら、いて宗を立てて的な人間の心を復する理をなさる理由もここにある。天使と人間とが創造された順序を見ても、外的な天使長が先で、的な人間があとであった。したがって、天使と落人間を復するにたっても、先に外的な天使世界を立てて理なさることによって、人間の肉身を中心とした外的な体世界を復なさり、その後いて、人体を中心とした的な無形世界を復するという順序で理をなさるのである。
「信仰基台」を復する、的な使命を果たすべきであった法王たちの淪落によって、侵入したサタンを分立して、創造本性を復しようとした中世の人は、その本性の面の追求によって、中世的指導精神をカインとアベルの二つの型の思想の復古運動として分立させたのであった。その第一は、カイン型思想であるヘレニズムの復古運動であり、第二は、アベル型思想であるヘブライズムの復古運動である。ヘレニズムの復古運動は、人本主義の現である文芸復興を引き起こし、ヘブライズムの復古運動は、神本主義の復活のための宗改革を引き起こしたのである。では、ヘレニズムとヘブライズムの流れが、どのようにして史的に交流され、この時代に至ったのかということを先に調べてみることにしよう。
紀元前二〇〇〇年代に、エゲ海のクレタ島を中心としてミノア文明が形成された。この文明はギリシャへ流入し、紀元前十一世紀に至っては、人本主義のヘレニズム(Hellenism)を指導精神とする、カイン型のギリシャ文明を形成したのである。これとほぼ同時代に、神本主義のヘブライズム(Hebraism)を指導精神とする、アベル型のヘブライ文明を形成したのであるが、このときが、すなわち統一王時代であった。時のイスラエルの王が「信仰基台」を立て、人民と共に神殿を奉ずることによってつくられる「体基台」の上で「メシヤのための基台」を造成し、メシヤを迎えたならば、そのときにヘブライ文明はギリシャ文明を吸して、一つの世界的な文明を形成したはずであった。しかし、彼らが神のみ意のとおりにその責任分担を遂行しなかったので、このみ旨は成就されなかったのである。それゆえに、彼らはバビロンに捕虜として捕らえられていったが、還したのち、紀元前三三三年ギリシャに属国とされたときから、紀元前六三年ギリシャ文明にあったロマの属国となり、イエスが降臨なさるまでの期間は、ヘブライズムがヘレニズムの支配を受ける立場にあった時代である。
前章でに論述したように、ユダヤ人がイエスを信奉して、彼を中心として一つになったとすれば、時のロマ帝は、イエスを中心とするメシヤ王現したはずであった。もし、そのようになったならば、そのときにヘブライズムはヘレニズムを吸して、一つの世界的なヘブライ文明が形成されたはずであった。しかし、ユダヤ人がイエスに反逆してこの目的が成就されなかったので、ヘブライズムはそのままヘレニズムの支配下にとどまっていたのである。しかし、西三一三年に至り、コンスタンチヌス大帝がミラノ勅令を下してキリストを公認してからは、次第にヘレニズムを克服しはじめ、西〇〇年代に至っては、ギリシャ正文明と西文明を形成するようになったのである。
中世社において、「信仰基台」を復すべき中心人物であった法王と王たちが、もし落しなかったとすれば、そのときに「再臨のメシヤのための基台」がつくられ、ヘブライズムはヘレニズムを完全に吸融合して、世界は一つの文明を形成したはずであった。しかし、に論じたように、彼らの淪落によってヘブライズムを中心とする中世的指導精神がサタンの侵入を受けたので、神はサタン分立の理をなさらなければならなかったのである。ゆえに神は、あたかもアダムに侵入したサタンを分立なさるために、アダムをカインとアベルに分立されたように、このときにもその指導精神を二つの思想に再分立する理をされたのである。それがすなわち、カイン型のヘレニズムの復古運動と、アベル型のヘブライズムの復古運動であった。そしてこれらはついに、各文芸復興と宗改革として現れたのである。しかるにこの時代は、人本主義を主導理念とする文芸復興が起こるにって、ヘレニズムがヘブライズムを支配する立場に立つようになったのである。そして、この時代は、メシヤ降臨準備時代において、ユダヤ民族がギリシャの領となることにより、ヘレニズムがヘブライズムを支配した時代を、体的な同時性として蕩減復する時代となるのである。あたかもカインがアベルに屈伏して、初めてアダムに侵入したサタンを分立させ、メシヤを迎えるための「体基台」が造成できるように、カイン型であるヘレニズムがアベル型であるヘブライズムに完全に屈伏することによって、初めて中世的指導精神に侵入したサタンを分立させ、再臨主を迎えるための「体基台」が世界的に造成されるのである。

(一)文芸復興
中世社の人の本性から生ずる外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こし、この運動によって文芸復興が勃興してきたことについてはに論述した。それでは、その本性の外的な追求は何であり、また、どのようにして人間がそれを追求するようになったかを調べてみることにしよう。
創造原理によれば、人間は、神も干できない人間自身の責任分担を、自由意志によって完遂することにより初めて完成されるように創造されたので、人間は本性的に自由を追求するようになる。また、人間は、自由意志によって自分の責任分担を完遂し、神と一体となって個性を完成することにより、人格の絶的 な自主性をもつように創造された。ゆえに、人間は、本性的にその人格の自主性を追求するようになっている。そして、個性を完成した人間は、神から何か特別 の啓示を受けなくても、理知と理性によって神のみ旨を悟り、生活するように創造されているので、人間は本性的に理知と理性を追求するようになる。人間はま た、自然界を主管するように創造されたので、科により、その中に潜んでいる原理を探求して、現生活の環境を自ら開拓しなければならない。したがって、人間は本性的に自然と現と科とを追求するようになるのである。
しかるに、中世社の人は、その封建制度による社環境によって彼らの本性が抑されていたために、その本性の外的な欲望によって、上に見たような事柄を更にく追求するようになったのである。また上述のように、中世の人は十字軍戦争、東方から流入してきたヘレニズムの古典を究するようになったが、ギリシャの古代精神が、すなわち、人間の自由、人格の自主性、理知と理性の尊性と、自然を崇し、現に重きをおいて科を探求することなど、人間の本性の外的な追求によるものであったので、これらがそのまま中世の人の本性的な欲望に合致して、ヘレニズムの復興運動は激しく勃興し、ついには人本主義が台頭するようになったのである。「ルネッサンス」とは、フランス語で、「再生」または「復興」という意味である。このルネッサンスは、十四世紀ごろから、ヘレニズムにする古典究の本場であるイタリアにおいて胎動しはじめた。この人本主義運動は、初めは中世の人をギリシャの古代にらせ、その精神を模倣させようとする運動から始まったが、それが進むにつれて、この運動は古典文化を再生し、中世的社生活にしての改革運動にわり、また、これはに文化の方面だけにとどまったのではなく、政治、経済、宗など、社全般にわたる革新運動へと大され、事上、近代社を形成する外的な原動力となったのである。このように、人間本性の外的な欲望を追求する時代的な思潮であった人本主義(あるいは人文主義)が、封建社全般にする外的な革新運動として展開された現象をルネッサンス(文芸復興)と呼ぶのである。

(二)宗改革
中世社における法王を中心とする復帰摂理は、法王と僧侶の世俗的な落によって成就することができなかった。そして上述のように、中世の人が人本主義を唱えるにつれて、人は人間の自由を束縛する形式的な宗儀式と規範とに反抗し、人間の自主性を蹂躙する封建階級制度と法王抗するようになったのである。さらにまた、彼らは人間の理性と理知を無視して、何事でも法王に隷させなければ解決できないと考える固陋な信仰生活に反し、自然と現と科を無視する遁世的、他界的、禁欲的な信仰態度を排するようになった。こうしてついに、中世のキリスト信徒は法王政治に反抗するようになったのである。
このようにして、中世社の人がその本性の外的な欲望を追求するにつれて、その反面、抑されていた本性の的な欲望をも追求するようになり、ついには、使徒たちを中心として神のみ旨のみにった熱烈な初代キリスト精神への復古を唱えるようになった。これがすなわち、中世におけるヘブライズムの復古運動である。そうして、十四世紀に、英のオックスフォド大の神学教授ウィクリフ(Wycliffe13241384)は聖書を英して、信仰の基準を法王や僧侶におくべきでなく、聖書自体におくべきであると主張すると同時に、教会の制度や儀式や規範は聖書に何らの根をおくものでもないことを証言して、僧侶の淪落と、その民衆にする搾取および力の濫用を痛した。
このように宗改革運動は、十字軍戦争によって法王の威が落ちたのち、十四世紀からに英で胎動しはじめ、十五世紀にはイタリアでもこの運動が起こったのであるが、それらはみな失敗に終わり、その中心人物たちは刑されてしまったのである。その後一五一七年、法王レオ十世が、聖ペテロ寺院の建築基金を募集するために、死後に救いを受ける贖罪の札であると宣して免罪符をるようになると、この弊害にする反運動が導火線となって、結局ドイツにおいてウィッテンベルク大の神学教授であったマルティンルタMartinLuther14831546)を中心として宗改革運動が爆したのであった。この革命運動ののろしは次第に大され、フランスではカルヴィン(Calvin15091564)、スイスではツウィングリ(Zwingli14841531)を中心として活に伸展し、イギリス、オランダなどの諸へと大されていったのである。
このように、運動を中心として起こった際間のいは百余年間も継続してきたが、ドイツを中心として起こった三十年戦争が一六四八年ウェストファリア約によってついに終結し、ここにおいて新旧両教徒間のいに一段落がついたのである。その結果、北はゲルマン民族を中心として新が勝利を得、南はラテン民族を中心とする旧教の版としてるようになったのである。
この三十年戦争は、ドイツを中心とするプロテスタントとカトリック徒間に起こったいであった。しかし、この戦争なる宗教戦争にとどまったのではなく、ドイツ帝の存を決する政治的な内乱でもあった。したがって、この戦争を終結させたウェストファリア講和議は、新旧両教派に同等の限をえる宗教会議であると同時に、ドイツ、フランス、スペイン、スウェデン諸間の領土問題を解決する政治的な議でもあったのである。

 

第二節 および思想の闘争期(一六四八~一七八九)

(一)カイン型の人生
(二)アベル型の人生

 

この期間は、西一六四八年ウェストファリア約によって新運動が成功して以後、一七八九年フランス革命が起こるまでの一四年期間をいう。文芸復興と宗改革によって人間本性の面の欲望を追求する道を開拓するようになった近世の人は、信と思想の自由から起こる神および理の分裂と、哲いを免れることができなくなっていた。
ところで、今まで後編で述べてきたように、帰摂理は、長い史の期間を通じて、個人から世界に至るまでカインとアベルの二つの型の分立理によって成し遂げられてきた。したがって、史の終末においても、この落世界は、カイン型の共産主義世界と、アベル型の民主主義世界に分立されるのである。そして、ちょうど、カインがアベルに順に屈伏して初めて「体基台」が成し遂げられるように、このときにもカイン型の世界がアベル型の世界に屈伏して初めて、再臨主を迎えるための世界的な「体基台」が成就されて、一つの世界を復するようになるのである。このように、カインとアベルの二つの型の世界が成り立つには、そのための二つの型の人生が確立されなければならないが、この二つの型の人生は、にこの期間に確立されたのであった。

(一)カイン型の人生
人間本性の外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こして人本主義を生みだした。そして、この人本主義を基盤にして起こった反中世的な文芸復興運動は、神への依と宗的な身をんじ、すべてのことを自然と人間本位のものに代置させたのである。すなわち、神に偏りすぎて自然や人間の肉身を視し、それらを罪視するまでに至った中世的な人生から、理性と経験による合理的な批判と証的な分析を通じて人間と自然を認識することにより、彼らの値を高める人生を確立したのである。このような人生は、自然科達からくる刺激により、人生にする認識と思惟の方法論において二つの形式をたどるようになった。そしてこれらが近世哲の二大潮流をつくったのであるが、その一つは演繹法による理性論であり、もう一つは納法による経験論である。
フランスのデカルト(Descartes15961650)を祖とする理性論は、すべての理は人間が生まれながらにもっている理性によってのみ探求されると主張した。彼らは史性や統を打破して演繹法を根とし、「我思う、ゆえに我あり」という命題を立てて、これから演繹することによって初めて外界を肯定しようとしたのである。したがって、彼らは神や世界や自分までも否定する立場に立とうとしたのである。これにして、イギリスのベコン(FrancisBacon15611626)を祖とする経験論は、すべての理は経験によってのみ探求されると主張した。人間の心はちょうど白紙のようなもので、新しい理を体得するには、すべての先入を捨てて実験察によって認識しなければならないとしたのである。このように、神から離れて理性を重要視する合理主義思想と、経験に基盤をおく人間中心の現主義思想は、共に神秘と空想を排して、人間生活を合理化しながら現化し、自然と人間とを神から分離させたのである。
このような文芸復興は、人文主義から流れてきた二つの思潮にって、人間がその的な性相にって神のを復しようとするその道を遮り、外的な性向のみにってサタンの側に偏る道を開く人生を生みだした。これが正にカイン型の人生であった。このカイン型の人生は、十八世紀に至っては、史と統を打破して人生のすべてを理性的または現的にのみ判し、不合理なもの、非現的なものを徹底的に排し、神を否定する合理的な現にのみ重きをおくようになったのである。これがすなわち啓蒙思想であった。このような経験論と理性論を主流として展した啓蒙思想がフランス革命の原動力となったのである。
このようなカイン型の人生の影響を受けて、イギリスではハト(Herbert15831648)を祖とする超越神Deism=理神論)が起こった。トマスアクィナス(ThomasAquinas1224~1274)以、天啓と理性の調和に基礎をおいて展した神し、超越神純に、理性を基礎とした神を立てようとしたのである。彼らの神は、純に、神を、人間と宇宙を創造したという一つの意義にのみ局限させようとし、人間において神の啓示や奇跡は必要ないと主張した。
十九世紀の初め、ドイツのヘゲル(Hegel17701831)は十八世紀以後に起こった念論哲を大成した。しかし、このヘゲル哲も、啓蒙思想を土台としてフランスで起こった無神論と唯物論の影響を受けて、彼に反するヘゲル左派の派生をもたらした。このヘゲル左派は、ヘゲルの論理を翻し、今日の共産世界をつくった弁証法的唯物論の哲を体系化したのである。ヘゲル左派であるシュトラウス(D.F.Strauss18081874)は『イエス』を著述して、聖書に現れた奇跡は後世の捏造であるとして否定し、フォイエルバッハ(Feuerbach18041872)は彼の『キリストの本質』の中で、社的または経済件が宗教発生の原因になると明した。このような学説が唯物論の基礎を形成したのである。
マルクス(Marx18181883)とエンゲルス(Engels18201895)は、シュトラウスやフォイエルバッハの影響を受けたが、それよりもフランスの社主義思想から大きな影響を受けて弁証法的唯物論を提唱し、文芸復興以後に芽生えはじめて、啓蒙思潮として展してきた無神論と唯物論とを集大成するに至った。その後、カイン型の人生は一層成熟して、今日の共産主義世界をつくるようになったのである。

(二)アベル型の人生
は、中世社から近代社への史の流れを見るとき、それが神や宗から人間を分離、あるいは立させる過程であるとのみ考えがちである。これは、どこまでも中世社人の本性の外的な追求によって起こったカイン型の人生にのみ立脚して見たからである。しかし、中世の人の本性的な追求は、このような外的なものにばかりとどまったのではなく、より深く的なものをも追求するようになったのである。彼らの本性の的な追求が、ヘブライズムの復古運動を生せしめることによって宗改革運動を起こし、この運動によって哲と宗は創造本性を指向する立体的な人生を樹立したのであった。これを我は、アベル型の人生という。したがって、カイン型の人生は、中世の人を神と信仰から分離、あるいは立させる方向へ傾かせたが、このアベル型人生は、彼らをして一層高次的に神の側へ指向するように導いてくれたのである。
ドイツのカント(Kant17241804)は、お互いに立してきた経験論と理性論を吸して新たに批判哲を打ち立て、面を追求する人間本性の欲望を哲的に分析して、哲的な面でアベル型の人生を開拓した。すなわち、我の多な感象の触発によって生ずるが、これだけでは認識の容をえるだけで、認識自体は成立し得ない。この認識が成立するためには、多容(これは後天的であり経験的なものである)を一定の係によって統一する形式がなければならない。その形式がまさしく自分の主である。ゆえに、思惟する能力、すなわち自己の悟性の自的な作用により、自己の主的な形式(これは先天的であり超経験的である)をもって、象からくる多な感を統合、統一するところに認識が成立するとした。このようにカントは、象により主を形成するという従来の模写説を翻して、主象を構成するという学説を提唱したのである。こうしたカントの学説を受け、彼の第一後者であるフィヒテ(Fichte17621814)をはじめ、シェリング(Schelling17751854)、ヘゲルなどが輩出したが、特にヘゲルはその弁証法で哲の新しい面を開拓した。彼らのこのような念論は、哲的な面におけるアベル型の人生を形成したのである。
界においては、時の思潮であった合理主義の影響下の宗界の傾向に反して、宗的情熱と的生命を重要視し、理と形式よりも神秘的体に重きをおく、新しい運動が起こるようになった。その代表的なものは第一に敬虔主義(Pietism)で、これはドイツのシュペネル(Spener16351705)を中心として起こったが、正統的信仰におうとする保守的な傾向がく、神秘的な体に重きをおいたのであった。また、この敬虔派の運動がイギリスに波及し、英民の生活の中に染みこんでいた宗心と融和して、ウェスレイ(J.Wesley17031791)兄弟を中心とするメソジスト派(Methodists)を起こすようになったのである。この派は、沈滞状態にっていた時の英国教会に大きな復興の運を起こしたのであった。
またには、神秘主義者フォックス(Fox16241691)を祖とするクェ派(Quakers)が生じた。フォックスは、キリストは信徒の魂を照らす的な光である、と主張して、聖を受けてキリストと神秘的に結合し、的光明を体しなければ聖書の意を知ることができないと主張した。この派は、アメリカ大陸でも多くの迫害を受けながら布を行ったのである。つぎに、スウェデンボルグ(Swedenborg16881772)は著名な科者でありながら眼が開け天界の多くの秘密を表した。彼の表は、長い間神界で無視されてきたが、最近に至って界に通ずる人が加するにつれて、次第にその値が再認識されるようになってきた。このように、アベル型の人生は成熟して、今日の民主主義世界をつくるようになったのである。

 

第三節 政治、経済および思想の成熟期(一七八九~一九一八)

(一)民主主義
(二)三分立の原理的意義
(三)産業革命の意義
(四)列化と植民地の分割
(五)文芸復興に伴う宗、政治および産業革命

 

前の時期において、宗および思想の闘争はカイン、アベル二つの型の人生を樹立してきたが、この時期に至ると、この二つの人生はそれぞれの方向にって成熟するようになった。そして、それらの思想の成熟につれて、カイン、アベルの二つの世界が形成されていったのである。の構造もこの二つの人生に立脚した社形態へと整理されて、政治、経済、思想も理想社へと換され得る前段階にまで進展した。フランス革命とイギリスの産業革命以後、第一次世界大が終わるころまでがこのような理期間であったのである。

(一)民主主義
展の点から見た民主主義にしてはに前章で論述した。しかし、それはどこまでも民主主義が出てくるまでの外的な緯であった。我はこのような史の展の中で、いかなる思想の流れにって今日の民主主義が出てくるようになったのか、その的な緯を調べてみることにしよう。
に後編第四章第七節(二)で論じたように、キリスト王時代において、法王を中心とした的な王と、王を中心とした体の王とが一つとなり、メシヤ王のための君主社をつくって「メシヤのための基台」をつくったならば、そのときに封建時代は終わったはずであった。しかし、この理が成し遂げられなかったので、この時代は延長され、政治史と宗史と経済史とが互いに分立された路程にって展するようになったのである。中世封建時代において地方の諸侯たちに分散されていた政治力は、十字軍戦争以後衰えはじめ、文芸復興と宗改革をて、啓蒙期に至っては一層衰微したのであった。十七世紀中葉に至ると、諸侯たちは民族を位とする統一家を立てて王のもとに集中し、中央集による絶主義家(制主義家)を形成するようになったのである。この時代は、王神授などの影響で、王に絶的な限が賦されていた制君主時代であった。この時代が到するようになった原因を社的な面から見るならば、それは、第一に、市民階級が王と結合して、封建階級と抗するためであり、第二には、経済的な活動において、貿易経済が支配的なものとなったために、封建制度からけだした力な家の背景を必要とし、また、民の全体的な福利のために、力な家の保護と監督による、重商主義経済政策が要望されるところにあったのである。また、復帰摂理から展を考えてみると、封建時代以後には、天の側の君主社が成就されなければならなかったのであるが、この時代には法王と王とが一つになれなかったので、この社は完成されず、法王を中心とする社は(次になさんとする神の側の理を)サタンが先に成し遂げていくという型どおりの路程にって、サタン側の制君主社へと化されたのである。
カイン型の人生を中心とする共産世界と、アベル型の人生を中心とする民主世界を成し遂げていく復帰摂理の立場から、制君主社趨を考察してみることにしよう。中世封建時代は、ヘブライズムとも、ヘレニズムとも、同に相いれぬ社であったので、この二つの思想は共同でそれを打ち破り、カイン、アベル二つの型の人生に立脚した二つの型の社を樹立したのであった。そのように、制君主社も、やはり、宗改革以後のキリスト民主主義による信の自由を束縛したので、それはアベル型人生の目的達成に反する社であるとともに、またこの社は、その中に依然としてっていた封建制度が、無神論者と唯物論者たちが指導する市民階級の展を遮るものであったので、カイン型人生の目的達成に反する社でもあった。ゆえにこの二つの型の人生は共に、この社を打破する方向に進み、ついには、カイン、アベル二つの型の民主主義に立脚した共産と民主の二つの型の社を形成したのである。

(1)カイン型の民主主義
カイン型の民主主義は、フランス革命によって形成された。したがって、この問題を論ずるためには、まずフランス革命について論じなければならない。時フランスは、カイン型の人生の影響によって、無神論と唯物論の道へと流れこんだ啓蒙思想が、怒濤のように押し寄せた時代であった。したがって、このような啓蒙思想に染まっていた市民階級は、絶主義にする矛盾を自するようになり、それにって、絶主義社会内にまだ深く根を下ろしている制度の骸を、打破しようとする意識が潮のように高まっていたのである。
そこで市民たちが、一七八九年、啓蒙思想の溢により絶主義社の封建的支配階級を打破すると同時に、第三階級(市民)の自由平等と解放のために、民主主義を唱えながら起こった革命が、すなわち、フランス革命であった。この革命により、「人宣言」が公表されることによって、フランスの民主主義は樹立されたのである。しかし、フランス革命による民主主義は、あくまでもカイン型の人生を立てるために、唯物思想に流れこんだ啓蒙思想が、絶主義社を打破しながら出現したものであるから、これをカイン型の民主主義というのである。ゆえに、啓蒙思想の主要人物たちもそうであったが、フランス革命の思想家ディドロ(Diderot17131784)や、ダランベル(DAlembert17171783)なども無神論、または唯物論系の者たちであった。この革命のいきさつを見ても分かるように、フランスの民主主義は、個性の自由と平等よりも、全体主義へと化される傾向性を包していたのである。このようにカイン型の人生は啓蒙思想を立ててフランス革命を起こし、カイン型の民主主義を形成した。これが神の側に復しようとする人間本性の的な追求の道を完全に遮り、外的にばかりますます展し、ドイツでのマルクス主義とロシアでのレニン主義として体系化されることにより、ついには共産主義世界を形成するに至ったのである。

(2)アベル型の民主主義
イギリスやアメリカで現された民主主義は、フランス大革命によって現された民主主義とはその端から異なっている。後者はカイン型人生の所産である無神論および唯物論の主唱者たちが、絶主義社を打破することによって現したカイン型の民主主義である。これにして前者は、アベル型人生の結体である熱狂的なキリスト信徒たちが信の自由を求めるために絶主義とい、勝利して現したアベル型の民主主義であったのである。
それでは、イギリスやアメリカでは、どのようにしてアベル型の民主主義を樹立したかということを調べてみることにしよう。イギリスでは、チャルズ一世が制主義と国教化することによって、多くの清教徒たちが迫を受け、信仰の自由を求めて、ヨロッパの他、または、新大陸へ移動したのであった。かつてスコットランドでは、宗的な迫を受けた一部の清教徒が民盟約を決議して王に反抗した(一六四年)。そののちイングランドでは、議の核心であった清教徒が、クロムウェル(Cromwell15991658)を中心として清教徒革命を起こしたのである(一六四二年)。そればかりでなく、ジェムズ二世の制と国教強化が激しくなるにって、オランダの督であった彼の婿オレンジ公ウイリアム(WilliamIII16501702)は、一六八八年に軍隊を率い、信仰の自由と民の擁護のためイギリスに上陸し、無血で王位に上ったのであった。ウイリアムが王位につくや否や、彼は仮議に上申された「利の宣言」を承認し、議立的な利を認定し、のち、この宣言は「利の章典」として公布され、英憲法の基本となったのである。この革命は無血で成功したのでこれを名革命という。このように、イギリスにおけるこの革命は、外的に見ればもちろん市民階級が貴族、僧侶など大地主階級から政治的な自由と解放を獲得しようとするところにその原因があったけれども、それよりももっと主要な原因は、そのような革命を通じて的な信仰の自由と解放を求めようとするところにあったのである。
また、イギリスの制主義王制のもとで弾圧を受けていた清教徒たちが、信仰の自由を得るためにアメリカの新大陸へ行き、一七七六年に家を設立してアメリカの民主主義を樹立したのであった。このように、英米で樹立された民主主義は、アベル型の人生を中心として、信仰の自由を求めるために、絶主義社を改革しようとする革命によって樹立されたので、これをアベル型の民主主義という。このようにしてアベル型の民主主義は今日の民主主義世界を形成するようになったのである。

(二)三分立の原理的意義
分立思想は、絶主義の政治体制によって、家の力が特定の個人や機に集中するのを分散させるために、啓蒙思想派の重であったモンテスキュMontesquieu16891755)によって提唱されたが、これはフランス革命のとき「人宣言」の宣布によって現された。しかし元、この三分立は、天の側で成し遂げようとした理想社の構造であって、復帰摂理の全路程がそうであるように、これもまたサタン側で、先に非原理的な原理型として成し遂げたのである。それでは、我はここで、理想社の構造がどのようなものであるかを調べてみることにしよう。
創造原理で明らかにしたように、被造世界は完成した人間一人の構造を基本として創造された。そればかりでなく、完成した人間によって現される理想社も、やはり完成した人間一人の構造と機能に似ているようになっているのである。人体のすべての器官が頭の命令によって起動するように、理想社のすべての機も神からの命令によってのみ営為されなければならない。また、頭からくるすべての命令が、脊を中心として末梢神を通じて四肢五体に達されるように、神からの命令は、脊に該するキリストと、キリストを中心とする末梢神に該する聖徒たちを通じて、社全体に漏れなく及ばなければならない。そして人体における、脊を中心とする末梢神は、一つの家の政党に該するので、理想社における、政党に該する役割は、キリストを中心とする聖徒たちが果たすようになっているのである。
と心と胃腸が、末梢神を通じて達される頭の命令にって、お互いに衝突することなく円な授受の作用を維持しているように、この三器に該する理想社の立法、司法、行政の三機も、政党に該するキリストを中心とする信徒たちを通じて達される神の命令によって、お互いに原理的な授受の係を結ばなければならない。人間の四肢が頭の命令にい、人間の生活目的のために活動しているように、四肢に該する経済機構は、神の命令にい、理想社の目的を達成するために実践する方向へと動かなければならない。また、人体において、肝が全身のために養を貯するように、理想社においても、常に全体的目的達成のために必要な貯蓄をしなければならないのである。
しかしまた、人間の四肢五体が、頭的な係をもち、肢体の間で自動的に的な係を結びながら、不可分の有機体をつくっているように、理想社においても、あらゆる社の人が神と的な係を結ぶことによって的な係をも結ぶようになるので、喜怒哀を共にする一つの有機体をつくるようになるのである。それゆえに、この社においては、他人を害することが、すなわち自分を害する結果をもたらすことになるので、罪を犯すことができないのである。
はまた、復帰摂理がこの社構造をどのようなかたちで復してきたかということを調べてみよう。西における展の過程を見れば、立法、司法、行政の三と政党の機能を王一人が全部担してきた時代があった。しかし、これが遷して王が三を掌握し、法王を中心とする教会が政党のような使命を担する時代にわったのである。この時代の政治制度は、再びフランス革命により、立法、司法、行政の三に分立され、政党が明白な政治的使命をもつようになり、民主主義立憲政治体制を樹立して、理想社の制度の形態だけは備えるようになったのである。
このように、長い史の期間を通じて政治体制が遷してきたのは、落した人間社が、復帰摂理によって、完成した人間一人の構造と機能に似た理想社へと復されていくからである。このようにして今日の民主主義政体は、三に分立され、また政党が組織されることによって、ついに人間一人の構造に相似するようになったが、それはあくまでも、復されていない落人間と同じように、創造本然の機能がまだ揮されずにいるのである。すなわち、政党は神のみ旨を知っていないのであるから、それは頭の命令を達することができなくなった脊と、それを中心とする末梢神と同のものであるといえるのである。すなわち、憲法が神のみ言から成り立っていないので、立法、司法、行政の三機は、あたかも神系統が切れて、頭からくる命令に感できなくなった三器のように、それらは相互間の調和と秩序を失って、常に立し、衝突するほかはないのである。
ゆえに、再臨理想の目的は、イエスが降臨することにより、落人間一人の構造に似ている現在の政治体制に完全な中を結んでやることによって、神のみ旨を中心とした本然の機能を完全に揮させようとするところにあるのである。

(三)産業革命の意義
神の創造理想は、に罪のない社をつくることだけで成し遂げられるのではない。人間は、万物を主管せよと言われた神の祝福のみ言どおり(創一28)、被造世界に秘められている原理を探求し、科達させて、幸福な社環境をつくっていかなければならないのである。に前編で論じたように、落人間の面の無知にする克服は、宗と科が各して理想社を復してきたので、史の終末には、的な無知を完全に除去できるみ言が出なければならないとともに、肉的な無知を完全に除去できる科達して、理想社を成し遂げ得る前段階の科を建設しなければならないのである。このような神の理から見ても英の産業革命は、どこまでも理想社の生活環境を復するための理から起こったものだ、ということを知ることができる。
理想社経済機構も、完成された人体の構造と同でなければならないのであるから、前にも述べたとおり、生産と分配と消費は、人体における胃腸と心と肺のように、有機的な授受の係をもたなければならない。したがって、生産過による破的な販路競とか、偏った分配によって全体的な生活目的を害する蓄積や消費をしてはならないのである。ゆえに、必要かつ十分な生産と、公平にしてしかも過不足のない分配と、全体的な目的のための合理的な消費をしなければならない。
ところで、産業革命による大量生産は、イギリスをして商品市場と原料供給地としての大な植民地を急速度に開拓せしめた。そして、産業革命は理想社のための外的な環境復ばかりでなく、福音播のためのな版をつくって的な復帰摂理の使命をも果たしたのである。

(四)列化と植民地の分割
文芸復興以後、カイン、アベルの二つの型に分かれて成熟してきた人生は、各二つの型の政治革命を起こし、二つの型の民主主義を樹立した。この二つの型の民主主義は、みなイギリスの産業革命の影響を受けながら急速度に化され、民主と共産二つの系列の世界を形成していくようになった。
すなわち、産業革命に引きき、飛躍的な科達につれて起こった工業の達は、生産過経済を招した。そして、過な生産品の販路と工業原料の獲得のための新地域の開拓を必要とするようになり、ついに世界列は、植民地けながら、急速度に化されていったのである。このように、カイン、アベル二つの型の人生の流れと、科展にって、経済発展は政治的にこの世界を、民主と共産の二つの世界に分立させたのである。

(五)文芸復興に伴う宗、政治および産業革命
カイン型であるヘレニズムの反中世的復古運動は、人本主義(Humanism)を生み、文芸復興(Renaissance)を引き起こした。これが、更にサタンの側に展して、第二の文芸復興思潮といえる啓蒙思想を起こすようになった。この啓蒙思想が一層サタンの側に成熟して、第三の文芸復興思潮といえる唯物史を生み、共産主義思想を成熟させたのである。
このように、サタンの側で天の理を先に成し遂げていくにって、、政治、産業各方面においても三次の革命が引きき生ずるようになった。すなわち、第一次文芸復興にいて、ルタを中心とする第一次宗改革があった。第二次文芸復興にいて、宗界では、ウェスレイ、フォックス、スウェデンボルグなどを中心とした新しい的運動が、激しい迫害の中で起こったが、これが第二次宗改革運動であった。ゆえに、第三次文芸復興にいて、第三次宗改革運動が起こるということは、展過程から見て、必至の事であるといえる。、今日のキリストの現は、その改革を切に要求しているのである。
また、政治的な面においても三段階の革過程があったことを看破することができる。すなわち、第一次文芸復興と第一次宗改革の影響により、中世封建社は崩に導かれた。第二次文芸復興と第二次宗改革の影響により、いて制君主社が崩に導かれたのである。そして第三次文芸復興による政治革命によって、共産主義社が成立するに至った。今後は、将来、第三次宗改革により、天の側の民主世界が理念的にサタンの側の共産世界を屈伏させて、この二つの世界が、必然的に神を中心とする一つの地上天に統一されなければならないのである。
一方我は、宗と政治の革にうところの経済改革も、三段階の過程を展してきたという事を知ることができる。すなわち、蒸による工業達によって第一次産業革命がイギリスにおいて起こり、つづいて、電とガソリンによる第二次産業革命が先進諸で起こった。今後は、原子力による第三次産業革命が起こり、これによって理想世界の幸福な社環境が世界的に建設されるであろう。このメシヤ再降臨準備時代における三次の文芸復興に伴う宗、政治および産業など三分野にわたる三次の革命は、三段階の展法則による理想社会実現への必然的過程なのである。

 

第四節 世界大

(一)蕩減復帰摂理から見た世界大の原因
(二)第一次世界大
(三)第二次世界大
(四)第三次世界大

 

(一)蕩減復帰摂理から見た世界大の原因
戦争は、いつでも政治、経済、思想などが原因となって起こるようになる。しかし、このようなことはあくまでも外的な原因にすぎないのであって、そこには必ず的な原因があるということを知らなければならない。これはあたかも人間の行動に面の原因があるのと同である。すなわち、人間の行動は、面の現対応しようとする外的な自由意志によって決定されるのはもちろんであるが、復帰摂理の目的を指向し、神のみ旨に順しようとする的な自由意志によって決定されるものもあるのである。ゆえに、人間の自由意志によって起こる、行動と行動との世界的な衝突が、すなわち世界大であるので、ここにも面の原因があるということを知らなければならない。したがって、世界大を、政治、経済、思想などその外的な原因を中心として見ただけでは、これにする理的な意義を把握することができないのである。
それでは、蕩減復帰摂理から見た世界大的な原因は何なのだろうか。第一に、主を奪われまいとするサタンの最後の発悪によって、世界大が起こるようになるのである。に上述したように、人間始祖が落することによって、元神が成し遂げようとしてきた原理世界を、サタンが先立って原理型の非原理世界を成し遂げてきたのであり、神はそのあとをついていかれながら、サタン主管下のこの非原理世界を奪い、善の版めることによって、次第に原理世界を復する理をしてこられたのである。したがって、復帰摂理の路程においては、常に、なるものがる前に、ものが先に現れるようになる。キリストがられる前にキリストがるであろうと言われたのは、その代表的な例であるといえる。
ところで、サタンを中心とする史は、再臨主が現れることによってその終末を告げ、神を中心とする善主史にわるのであるから、そのときにサタンは最後の発悪をするようになる。セを中心とする民族的カナン復路程において、エジプトを出しようとするイスラエル選民にし、サタンはパロに最後の発悪をさせたので、天の側では三大奇跡により彼を打って出したのである。このように、史の終末期においても世界的カナン復路程を出しようとする天の側にして、サタンが最後の発悪をするので、これを三次にわたって打つのが三次の世界大として現れるのである。
第二に、神の三大祝福を成就した型の世界を、サタンが先に非原理的につくってきたので、これを復する世界的な蕩減件を立てるために世界大が起こるのである。神は人間を創造されて、個性を完成すること、子女を繁殖すること、そして、被造世界を主管することなどの三大祝福を人間にえた(創一28)。したがって、人間はこの祝福を成就して地上天現しなければならなかったのである。神は人間を創造なさり、このような祝福をされたので、その人間が落したからといって、この祝福を破棄することはできない。それゆえに、落した人間がサタンを中心として、その祝福された型の非原理世界を先につくっていくのを神は許さないわけにはいかないのである。したがって、人類史の終末には、サタンを中心とする個性の完成、サタンを中心とする子女の繁殖、サタンを中心とする被造世界の主管など、三大祝福完成型の非原理世界をつくるようになる。ゆえに神の三大祝福を復する世界的な蕩減件を立てるためには、サタンを中心とするこのような三大祝福完成型の非原理世界を、蘇生、長成、完成の三段階にわたって打つ三次の世界大が起こらざるを得ないのである。
第三に、イエスの三大試練を世界的に越えるために世界大が起こるようになる。イエスの路程は、すなわち信徒たちがまなければならない路程であるので、信徒たちはイエスが荒野で受けた三大試練を、個人的に、家庭的に、家的に、世界的にり越えなければならない。このようにして、全人類がイエスのこの三大試練を三次にわたって世界的に越えていくのが、すなわちこの三次にわたる世界大なのである。
第四に、主のための世界的な蕩減件を立てるために、世界大が起こるようになる。人間が落しないで、成長期間の三段階をて完成されたならば、神の主の世界が成就されたはずである。ゆえに、この落世界をカイン、アベルの二つの型の世界に分立したのち、アベル型の天の世界がカイン型のサタンの世界を打って、カインがアベルを殺した件を世界的に蕩減復し、神の主を立てる最後の戦争を遂行しなければならないが、これも三段階を過しなければならないので、三次の世界大が起こるようになるのである。ゆえに、世界大的な理路程において、主のためにあったすべてのいの目的を、的に蕩減復すべき最終的な戦争なのである。

(二)第一次世界大
(1)第一次世界大する理的
カイン、アベル二つの型の人生によって起こったカイン、アベル二つの型の民主主義革命によって、制君主政体は崩した。これにいて起こった産業革命は、封建主義社を資本主義社へと導き、ついには帝主義社を迎えるようになったのであった。ゆえに、第一次世界大は、政治的な面から見れば、アベル型の民主主義により復帰摂理の目的を指向する民主主義政体と、カイン型の民主主義により復帰摂理の目的に反する全体主義政体との戦争であった。また、経済的な面から見れば、これは、天の側の帝主義とサタン側の帝主義との戦争であった。したがって、この大は一面、米諸中の先進資本主義家と後進資本主義家とが、植民地奪のために展開した戦争でもあったのである。また、第一次世界大を思想的な面から見れば、時のキリストを迫害した回教国家であるトルコ、および、これを支持したドイツやオストリアなどカイン型の家群と、主にキリストを信奉した米、英、などアベル型の家群との間に展開された戦争であったのである。結論的にいうと、第一次大は、アベル型の人生の目的を現すべき民主主義が、蘇生的な勝利の基盤を造成する戦争であったのである。

(2)天の側とサタンの側との別は何によって決定されるか
天(神)の側とサタンの側との別は神の復帰摂理の方向を基準として決定される。神の復帰摂理の方向と同じ方向を取るか、あるいは間接的でもこの方向に同調する立場をとるときこれを天の側といい、これと反になる立場をサタンの側という。ゆえに、天の側であるとかサタンの側であるというのは、我の常識や良心による判と必ずしも一致するものとはいえないのである。セがエジプト人を殺したという事は、神の理を知らない人はだれでもだと言うであろう。しかし、復帰摂理の立場で見ればそれは善であった。そればかりでなく、イスラエル民族が何の理由もなくカナンの地へ侵入して多くの異邦人を全滅させたという事も、神の理を知らない立場から見ればであるといわざるを得ない。しかし、これもやはり、復帰摂理の立場から見れば善であったのである。カナン民族の中に、イスラエル民族よりもっと良心的な人がいたとしても、時の彼らはみな一律にサタンの側であり、イスラエルは一律に天の側であったからである。
なお一進んで、この例を宗面においてげてみよう。すべての宗はその目的が等しく善にあるので、それはみな天の側である。しかし、ある宗が、使命的に見て一層天の側に近い宗の行く道を妨害するときには、その宗はサタンの側にするようになる。また、各宗は各時代的な使命をもっているので、ある宗がその使命期を過ぎたのちまでも、次の時代の新しい使命を担して現れた宗の行く道に障害となる立場に立つとき、その宗はサタン側になるのである。例えばイエスが現れる前には、ユダヤやその民族はみな天の側であった。しかし彼らが、ユダヤの目的を達成するために新しい使命をもってこられたイエスを迫害するようになったときには、彼らがいくら過去に神をよく信奉してきたとしても、イエスを迫害したその日からサタン側とならざるを得なかったのである。
近世以後においては、アベル型の人生の系統はみな天の側であり、カイン型の人生の系統はみなサタンの側である。このような意味において唯物論者はカイン型の人生の結であるので、人間的に見るといくら良心的で他人のために身していても、彼らはサタンの側である。したがって、共産世界はサタン側の世界となるのである。これに反して、信仰の自由が許されている民主世界は、アベル型の人生として存立する世界であるから天の側である。
前編でに論じたように、キリストはすべての宗の目的を達成するための最終的な使命をもって、中心宗に立てられているので、復帰摂理の立場から見れば、この理の目的を指向するキリストの行く道を妨害するものは、何でもサタン側になるのである。したがって、キリストを迫害するとか、または、その展を直接、あるいは間接的に妨害する家は、みなサタン側になる。ゆえに、第一次世界大において、米、英、、露など、連合側の主動家はキリスト教国家であるばかりでなく、回教国であるトルコで迫害を受けていたキリスト徒を解放させようとした家であるので、みな天の側になり、ドイツやオストリアなど同盟側の主動家は、キリストを迫害する回教国家であったトルコを支持したので、それらの家はみなトルコと共にサタン側となったのである。

(3)帰摂理から見た第一次世界大の原因
帰摂理から見て、第一次世界大が起こるようになった的な原因の第一は、神の三大祝福を復する蘇生的な蕩減件を世界的に立てようとするところにあった。に明らかにしたように、サタンは、神がアダムを中心として成し遂げようとした世界と類似した型の世界を先につくってきたので、史の終末に至っては、一時は必ずサタン側のアダム型の人物を中心として、三大祝福の蘇生級完成型の非原理世界が現れるようになる。したがって、天の側ではこの世界を打って、神を中心としてその祝福を完成した原理世界を復する蘇生的な蕩減件を、世界的に探して立てなければならない。このような目的のため、第一次世界大が起こるようになったのである。
ゆえに、第一次世界大を挑したドイツのカイゼル(ウイリアム二世)は、サタン側のアダムの蘇生級個性完成型の人物として、汎ゲルマン主義を主唱して子女繁殖の型をつくり、世界制覇の政策を立てて万物主管の型を成し遂げ、サタンを中心とする三大祝福の蘇生級完成型の非原理世界を達成したのである。したがって、天の側がこのようなサタン側を打って勝利して、神を中心とする三大祝福を完成した世界を復する蘇生的な蕩減件を世界的に立てるために、第一次世界大は起こらざるを得なかったのである。
第二に、イエスにするサタンの第一次試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために、第一次世界大がなければならない。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第一次大に勝利し神の第一祝福を世界的に復できる蕩減件を立てなければならなかった。なぜならば、イエスが荒野で第一次試練に勝利して、石で表示されたイエス自身を取りして個性復の基台を造成したように、天の側では第一次世界大に勝利することによって、サタン側の世界とその中心を滅ぼし、その反面、天の側の世界を立てて、その中心たる再臨主の誕生を迎え、個性復のための基台をつくらなければならなかったからである。
第三に、主の蘇生的な基台を造成するために第一次世界大がなければならない。に後編第四章第七節(二)(6)において、制主義社を打破して神の主を復するための最終的な政体として、民主主義政体が出てくるようになったと論じたが、結果として現れた事が物語っているように、第一次大で天の側の家が勝利し、政治版大させて、世界をキリスト化した。また、天の側の、で確固とした政治および経済の基台を造成して、民主主義の蘇生的な基台を確立すると同時に、天の側の主の蘇生的な基台をつくらなければならなかったのである。

(4)帰摂理から見た第一次大の結果
第一次世界大で天の側が勝利することにより、神の三大祝福を世界的に復するための蘇生的な蕩減件を立てるようになった。イエスにするサタンの試練を世界的に越える立場から見れば、神の第一祝福を世界的に復できる蕩減件を立て、ここで民主主義が蘇生的な勝利を得るようになり、天の側の主の蘇生的な基台を造成したのである。また、サタン側の世界と、その世界の王として君臨したカイゼルが敗北した反面に、天の側の世界の蘇生的な勝利の基台が立てられ、天の側の世界の王としてられる再臨主の誕生される基台が造成されたのである。またこれにいて、サタン側の再臨主の象型であるスタリンを中心とする共産世界がつくられるようになった。なぜならば再臨主は、共生共共義主義の地上天理想をもって降臨される方であるので、サタン側では天の側のこのような理をそれに先んじて達成するために、サタン側の再臨主型の人物を中心として地上天型の世界を成し遂げようとしたからであった。ゆえに、第一次世界大においては、天の側の勝利によってメシヤ再降臨の基台が造成され、そのときから再臨理の蘇生期が始まったのである。

(三)第二次世界大
(1)第二次世界大する理的
に中世以後の史において見てきたように、民主主義の根本精神は、アベル型の人生の目的を現しようとするところにある。民主主義は人間本性の面の性向にい、必然的に創造理想の世界を追求するようになる。ゆえに、第二次世界大は、第一次大によって得た蘇生的な勝利の基台の上に立つ民主主義が、人間本性の指向する道をふさぐ全体主義とって、長成的な勝利の基盤を造成する戦争であったのである。

(2)全体主義とは何か
一九三年代において、経済恐慌が世界的に押し寄せてきたとき、特にこの逆境を克服し難い、孤立した環境に立たせられた、日、伊などの家は、その難局を打開する道を全体主義の中に求めようとしたのである。それでは、全体主義とは何であろうか。全体主義とは、近代家の民主主義政治思想の根本である人間の個性にする尊重と、言論、出版、集、結社の自由、そして家にする基本的な人および議制度などを否定し、民族家の「全体」だけを究極の在として見ることにより、個人や体は民族家全体の存立と展のためにのみ存在しなければならないと主張する政治理念である。ゆえに、この制度のもとにおける自由は、個人が主張し享受できる利ではなく、全体の前にささげなければならない一つの義務であり、また牲として定義されるのである。全体主義の指導原理は、すべての威を多におくのではなく、ただ一人の支配者におき、そしてその支配者の意志をもって家民族の理念とするのである。この指導理念による全体主義政治体制の例をげれば、イタリアにおけるムッソリニ、ドイツにおけるヒットラ、日本における軍閥による裁政体が各それに該するといえる。

(3)第二次世界大における天の側家とサタン側
第二次世界大は、民主主義によって結託した米、英、の天の側家と、全体主義によって結託した、日、伊のサタン側家との対戦であった。それでは、どうして前者は天の側であり後者はサタン側なのであろうか。前者はアベル型の人生を中心として、復帰摂理の最終段階の政治理念として立てられた民主主義を根本理念とする家であるから天の側である。後者はその政治理念がカイン型の人生を中心としており、反民主主義的な全体主義家であるゆえにサタン側である。また、前者はキリストを支持するであり、後者は反キリスト的な立場に立った家であるので、各天の側とサタン側とに別されたのである。
その容をもう少し明らかにしてみよう。時代においての中心であったドイツは、人間の基本的な自由を奪し、その思想統制は宗分野にまで及んだのである。すなわち、ヒットラはロマ法王とは別途に協約を結び、重なゲルマンの原始的宗思想を導入して民族的宗を創設したのち、全の主のもとにすべての新を統轄しようとしたので、新はもちろん、旧教までもこれに力な反運動をしたのである。そればかりでなく、ヒットラは六〇〇万のユダヤ人を虐殺した。また大戦当時の日本の軍閥は、韓の各教会に神道の神棚を制的に設置させ、キリスト信徒たちを制的に引っ張りだして日本の神社に参拝させ、これにじない信徒たちを投獄、殺傷した。さらに、イタリアはサタン側に立ったドイツと一つになって家となり、ムッソリニは民思想を統合するために、故意に旧教国教とすることによって、神の復帰摂理に逆行する道をいた。これらのことを根として、時の、日、伊は共にサタン側の家であると規定されるのである。

(4)天の側とサタン側が各三大立した理由
詳細は次の項で論述するが、第二次世界大は、イエスを中心として成し遂げようとしながらできなかった神の三大祝福を復する長成的な蕩減件を、世界的に探し立てるために起こったのである。ところが、神の三大祝福が完成されなかったのは、アダム、エバ、天使長の三存在が落してしまったからであった。ゆえに、三大祝福の復にも、それらを蕩減復するための三存在の関与が必要であったので、後のアダムとしてられたイエスと、エバの神性をもってられた聖(前編第七章第四節(一))と天使の三存在が一つになって初めて的救いの理を成し遂げ、神の三大祝福を的に復することができたのである。したがって、イエスを中心とする三大祝福を復するための、長成的な蕩減件を、世界的に立てるべき第二次世界大も、アダム、エバ、天使を象する天の側の家が中心となり、同一の型を備えたサタン側の家とって勝利し、それを蕩減復する件を立てなければならない。ゆえに、これを知っているサタンは、この理に先立って、サタン側のアダム、エバ、天使型の家を先に結させ、天の側のそのような型のに向かって攻勢をかけさせたのである。
アメリカは男性家として天の側のアダムを、イギリスは女性家として天の側のエバを、フランスは中間的な家として天の側の天使長を各し、ドイツは男性家としてサタン側のアダムを、日本は女性家としてサタン側のエバを、イタリアは中間的な家としてサタン側の天使長を各したのである。第一次世界大においての米、英、と、ドイツ、オストリア、トルコも、やはり各このような類型に編成された、蘇生的な象型としての天の側とサタン側のであったのである。
それでは、第二次大において、サタン側の家であるソ連はなぜ天の側に加担するようになったのだろうか。法王を中心とする西の中世社が復帰摂理の目的を達成できない立場に立ったとき、神はこれをカインとアベルの二つの型の人生の世界に分立して、共産と民主の二つの世界を成し遂げていく理をなさらなければならなくなっていた。ところが、封建社制君主社や帝主義社は、みなこのような理を成し遂げようとする天の側の行く道を妨げると同時に、サタン側が行く究極の道をも遮ることになるので、天の側とサタン側とが手を組んでそれらの社を打破するようになったのである。帰摂理は時代の流れにって展する。したがって、神の復帰摂理を先に達成していく非原理世界も、時代の流れにってサタンの目的を指向し展せざるを得なくなる。ゆえに、サタン世界においても、古びた社は進的な社をつくるのに障害となるので、それを算するいをするようになるのである。
このような史的な趨勢からして、第二次世界大における全体主義は、天の側においてそうであるように、サタン側が行く道においてもまた、やはり障害となったのである。しかるに神は、サタン側が共産主義世界をつくることを、蕩減復帰摂理上、一時的にではあっても許容されなければならなかったので、ソ連が天の側家と協力して全体主義家を打倒することにより、共産世界が速やかにそれなりの結をするようにされたのである。しかし第二次世界大が終わるや否や、民主と共産の二つの世界は、水と油のように、はっきり分かれるようになったのであった。

(5)帰摂理から見た第二次世界大の原因
帰摂理から見て、第二次世界大が起こるようになった的な原因の第一は、神の三大祝福を復する長成的な蕩減件を世界的に立てようとするところにあった。神はアダムが落したことにより、第二次に、後のアダムであるイエスを遣わし、彼を中心として神の三大祝福を完成した世界を復なさろうとしたのである。しかしイエスはユダヤ人の不信により十字架で亡くなられたので、これはただ的にのみ成就されるにとどまった。またサタンは、イエスが成し遂げようとされた世界と類似した型の世界を先につくっていこうとするので、史の終末に至っては、必ずサタン側のイエス型の人物を中心として、三大祝福の長成級完成型の非原理世界がつくられるのである。したがって、この世界を打って、神を中心としてその祝福を完成した原理世界へ復する、長成的な蕩減件を世界的に立てなければならない。このような目的のために第二次世界大が起こるようになったのである。
このサタン側のイエス型の人物がすなわちヒットラであった。ゆえにヒットラは、その思想とか、身生活とか、彼の悲な死とか、また行方不明になった彼の死体などすべての面において、み旨とは方向が反であるというだけで、その他の点においては、イエスと類似する面を多くもっていたのである。したがって、第二次世界大を挑したドイツのヒットラは、サタン側のアダムの長成級個性完成型の人物として、汎ゲルマン主義を化することによって子女繁殖の型を成し遂げ、世界制覇の政策を樹立して万物主管の型を現し、サタンを中心とする三大祝福の長成級完成型の非原理世界をつくったのである。ここにおいて天の側は、第二次世界大に勝利することによって、三大祝福を完成した世界を復する長成的な蕩減件を世界的に立てなければならなかったのである。
第二に、イエスにするサタンの第二の試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために第二次世界大がくるようになる。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第二次大で勝利して、神の第二祝福を世界的に復できる蕩減件を立てなければならなかった。なぜならば、イエスが荒野で第二の試練に勝利して子女復の基台を造成されたように、天の側の世界が第二次大に勝利することによって、民主主義の長成的な基台を造成し、天の側の人間たちが天の世界的な基盤をつくらなければならなかったからである。
第三に、主の長成的な基台を造成するために第二次世界大が起こるようになったのである。第一次大において天の側が勝利することにより、民主主義世界は蘇生的な基盤をもつようになったが、それと呼してカイン型の世界をつくってきたサタン側でも、第一次大が終わるや否や、帝主義を克服して共産主義世界の蘇生的な基盤を達成した。ゆえに、第二次大では、その結果として現れた事が物語っているように、民主と共産の二つの世界を完全に分離させ、各その長成的な基盤をつくるようにしなければならなかった。民主主義世界がその長成的な基盤をつくるようになるにって、天の側の主はその長成的な基台を造成するようになるのである。

(6)帰摂理から見た第二次世界大の結果
第二次世界大が天の側の勝利に終わったので、神の三大祝福を世界的に復するための長成的な蕩減件を立てることができた。イエスにするサタンの試練を世界的に越える立場から見れば、神の第二祝福を世界的に復できる蕩減件を立て、また民主主義世界が長成的な基盤をつくって、主の長成的な基台を造成するようになったのである。
また、蕩減復の原理から見て、サタン側のイエス型の人物であるヒットラとそのが滅び、サタン側の再臨主型の人物であるスタリンを中心とする共産世界が世界的な基盤をもって現れるようになったのは、復活されたイエスを中心として的な王を建設していった時代は過ぎ、再臨されるイエスを中心として、新しい天と新しい地(二一1~7)を建設するときになったことを見せてくれたのである。
このように、第二次大が終わったあとからは再臨理の長成期に入るので、多くの信徒たちがイエス再臨にする啓示を受け、神の業(役事)が世界的に起こるようになるのである。これにって、あらゆる成宗は一層混し分裂して世俗的に流れ、宗的生命を失うようになる。これは、最終的な新しい理により、すべての宗を一つに統一するための終局的な理によって生ずる一つの終末的な現象なのである。

(四)第三次世界大
(1)第三次世界大は必然的に起こるのであろうか
神は、元、人間始祖を創造されて、彼に世界を主管せよと祝福されたので(創一28)、サタンが落した人間を中心として先にこの祝福を完成した型の非原理世界をつくっていくのを許さなければならなかった。その反面、神は復帰摂理によってそのあとについていきながら、それを天の側へ奪ってくる理をしてこられたことは、我がよく知っている事である。ゆえに、人類史の終末には、サタン側も天の側もみな世界を主管するところまで行かなければならないので、民主と共産の二つの世界が立するようになる。そして、この二つの世界の最終的な分立と統合のために世界大が起こるようになるのである。このように、第一次、第二次の大は、世界を民主と共産の二つの世界に分立するためのいであり、このつぎには、この分立された二つの世界を統一するためのいがなければならないが、これがすなわち第三次世界大なのである。第三次世界大は必ずなければならないが、そのいには二つの道がある。
第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して現できない。ゆえに、彼らを再び的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには、人間の本性的な欲求を足させる完全無欠な理念がなくてはならないのである。またこのいの第二の道は、武器による外的ないをしないで全面的に理念による的ないで、直ちにサタン世界を屈伏させて統一する道である。人間は理性的な存在であるから、結局理性で屈伏し、理性によって一つになるのでなければ、完全な一つの世界となることはできないのである。この二つのいの中で、いずれの道によって一つの理想世界が成し遂げられるかは人間の責任分担の遂行いかんによって決定される問題である。それでは、この道に必要な新しい世界の理念はどこから現れるのだろうか。
人類を一つの理想世界へと導くことのできる理念が、カイン型の人生で立てられた共産主義世界から出てくるはずは絶にない。なぜなら、カイン型の人生は人間本性の的な性向の伸長を遮っているからである。ゆえに、この理念は必ずアベル型の人生で立てられた民主主義世界から出てこなければならないが、しかし、我がこれまでに知っている民主主義世界のいかなる存理念も、共産主義の理念を屈伏させることができないということは、史的に証明されている事である。したがって、この理念は必ず民主主義世界から、新しく登場してこなければならないのである。新しい理念が出てくるためには新しい理が出なければならないが、この新しい理がすなわちアベル型の人生の根本であり、したがって、民主主義の根本となることはもちろんである。今まで、時代の流れにって、より新しい理を探求してきた展過程がそうであったように、このような新しい理が出てくると、多くの人間が、今まで理であると信じてきた古いものと互いに衝突するようになるので、今日の民主主義世界そのものも、再びカイン、アベルの二つの立場に分立されてお互いにうようになるであろう。しかし、この新しい理が民主主義世界で勝利の基盤をもつようになり、更に進んでは共産主義の理念を屈伏させることによって、ついに一つの理による一つの世界が成し遂げられるのである。
神がこの新しい理を下さって、全人類を一つの理念に統合させようとなさる理をサタンが先に知り、自分を中心として人類を統合させようと、りのものをであるかのようにいたサタン側の理がすなわち弁証法的唯物論である。弁証法的唯物論は理論的な根を立てて的な存在を抹殺しようとする。このような唯物論の立場から神は存在しないということを証立てようとしたが、結果的にはサタン自身も存在しないという論理を自らも被らざるを得ず、自繩自縛となり自滅の境地に自ら落ちこんでしまったのである。なお、サタンは史の終末をよく知っているので自分が滅亡することもよく知っている。したがって、結局はサタン自身も尊ばれないときが必ずくることを想定していながら、自分の牲を悟して神を否定したのがすなわち弁証法的唯物論なのである。ゆえに、民主主義世界でその理論を屈伏させる理を出さない限り、天の側はいつまでもサタンの理論的な攻勢を免れる道がないのである。ここに、天の側で新しい完成的な理を宣布しなければならない復帰摂理史的な根があるのである。

(2)第三次世界大する理的
第三次大は、復帰摂理が始められてからこのかた最終的に、民主世界によって共産世界を屈伏させ、理想世界を復させようとする戦争である。帰摂理の点から見れば、第一次大までは、天の側の世界では、植民地を世界的に確保して復帰摂理のための政治と経済の版大することにより、民主主義の蘇生的な基台を立て、第二次大では、民主主義の長成的な基台を世界的に樹立して民主主義の版固にした。第三次大によっては、新しい理により完全なアベル型の人生を立てて民主世界の完成的な基台を造成しなければならず、この基台の上で全人類を一つの世界へと導いていかなければならないのである。ゆえに第三次世界大は、復帰摂理の史の路程で、三段階まで延長しながら天のみ旨を立てようとしつつも、サタンに奪われてきたすべてのものを、史の終末期に至って、天の側で的に蕩減復する最終的な戦争なのである。

(3)帰摂理から見た第三次世界大の原因
上述のように、第三次大が武力によって終結されるべきか、あるいは理念のいで終わるべきかということは、ただ、神の理に仕える人間自身の責任分担の遂行いかんによって決定される問題であるが、とにかくどのような道であるにもせよ、世界的ないが必ずもう一度なければならないということだけは確かである。
それでは、復帰摂理から見て、第三次世界大が起こるようになる的な原因は何だろうか。第一に、神の三大祝福を復する完成的な蕩減件を世界的に立てるためである。ユダヤ人たちの不信仰によって、イエスを中心とする復帰摂理は結局的に成し遂げられただけであったので、イエスは再び地上に再臨して神の三大祝福を完成した世界を肉共に復なさらなければならない。ゆえに、サタンはまた、イエスが再臨されて達成すべき世界と類似した型の非原理世界を先につくっていくようになる。したがって、史の終末には、必ずサタン側の再臨主型の人物を中心として三大祝福を復した型の非原理世界がつくられるようになるのである。ゆえに、天の側では、サタンを中心とする世界を打って、神を中心として三大祝福を完成した世界を復する完成的な蕩減件を世界的に立てなければならない。このような目的のために、第三次世界大が起こらなければならなくなるのである。
そのサタン側の再臨主型の人物が正にスタリンであった。したがって、スタリンはサタン側の個性完成型の人物として民主世界に抗し、農漁民、労働者の大同結を主唱して子女繁殖の型を成し遂げ、世界赤化の政策を樹立して万物主管の型を現し、三大祝福を完成した型の共産世界をつくったのである。ゆえに、共産主義世界は、将来きたるべき神を中心とする共生共共義主義世界を、サタンが先に成し遂げた、非原理世界であるということを我は知らなければならないのである。
第二に、イエスにするサタンの第三次試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために第三次大がくるようになる。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第三次大で勝利することによって、神の第三祝福を世界的に復できる蕩減件を立てなければならない。なぜなら、イエスが荒野で第三次試練に勝利して万物にする主管性復の基台を造成したように、天の側が第三次大で勝利することによって、被造世界全体にする人間の主管性を復しなければならないからである。
第三に、主の完成的な基台を造成するために第三次大が起こらなければならない。それは、天の側で第三次大に勝利して共産主義世界を滅させ、すべての主を神の前に取りして天宙主義の理想世界を現しなければならないからである。

(4)帰摂理から見た第三次世界大の結果
かつて神は、アダム家庭でカインとアベルを立てて復帰摂理を完成なさろうとした。しかし、カインがアベルを殺すことによって人類罪悪歴史が始まったので、これを蕩減復なさるための善の分立理は、個人的なものから始まり、家庭、氏族、社、民族、家的なものをて、世界的なものへとその範めてこられたのである。神は、復帰摂理の最終的理である三次の大に勝利することによって、三段階まで延長を繰り返してきた理路程の全体を蕩減復なさろうとするのである。最初に人間始祖は、サタンの誘惑の言葉に引きずられていったことにより、神にする心情を失うようになった。このようにして人間は、的な落と外的な肉的落によりサタンの血統を受けいだのである。ゆえに帰摂理は、落人間が神の命のみ言により、神にする心情を復して肉共に救いを受け、神の血統を再び受けいで完成されるのである(後編第二章第三節(三)(2)照)。
三次にわたる世界大における天の側の勝利は、このような復帰摂理のすべての基台を完全に蕩減復して、人間が落してからのちの悠久なる史の期間を通じて、神が完成させようとされてきた創造本然の理想世界を現していくようになるのである。